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2008年11月29日 (土)

2008年短歌研究11月号「新進気鋭の歌人たち」を読む(前)

堂: こんにちは。

五: こんにちは。

堂: 突然ですが、宣伝です。我々短歌行の二人の所属する同人誌「pool」の最新号が出ました! もちろん、我々二人も作品を載せているほか、「新風十人」についての特集や、現代短歌の現状について問題点を拾いまくった座談会など、充実の112ページです。

五: やー、あの座談会大変だったね。

堂: 面白いと思いますので、「pool」vol.6を入手したい方は石川美南さんのアドレス(shiru@m13.alpha-net.ne.jp)にお申し込みください。メールの件名に「pool申込」と書いて、お名前とご住所を明記して送れば、折り返し振込先を連絡するそうです。ちなみに送料込みで500円!(後注:残部わずかだそうです!)

五: お買い得ですねえ。

堂: と、宣伝をしたところで、本日のテーマは「短歌研究11月号、新進気鋭の歌人たちを読む」です。

五: そしてゲストには、なんと! 先日第54回角川短歌賞を受賞された光森裕樹さんをお迎えしております。

堂: それでは、登場していただきましょう、どうぞ!

光: はじめまして、光森裕樹です。

五: こんにちは。今日はよろしくお願いします。

堂: お願いします。今日は渋谷のジョナサンからお送りします。最近ジョナサン多いな。いきなりですけど、渋谷はどういう土地でしょう? 光森さん。

光: よく分かっていないです。ただ、駅前の映像広告を何人が見ているかを分析する技術ができたと聞きましたので、最近興味が出てきました。

堂: ほお! 駅前のスクランブル交差点ですね。自動的に分析できるんだ。そいつはすごいな。

五: 近年の科学技術の発達は目覚しいですね。宇宙人との交信は間近いと見るべきでしょう。

堂: はい。そんなこともあるかもしれない。というところでさっそく始めましょう。まず今日の企画説明をしたいと思います。冒頭でも言いましたけれども、今日は「短歌研究」11月号の特集、「新進気鋭の歌人たち」を3人で読んでいきます。でもただ読んでいくだけでは面白くないので、各連作に十段階評価で点数もつけたいと思います。

五: はい。点数は、できるだけ偏差が出るように付ける、という方針です。そして、「短歌としてどうか」という大上段から付けた点数ではなく、あくまで個人的な好みに基づいているということも、付け加えておきたいと思います。

堂: そうですね。読みの差が目立つための基準みたいなものと理解してください。では、さっそく載っている順番でやっていきたいと思います。いいですか? 光森さん。

光: あ、すいません。「pool」最新号を読みふけっていました。はい。作品は基本的に作者の生年順に並んでいますね。

五: あ、本当だ。今気づきました。年齢順てすごいですね。

堂: 田口さんだけこの間の受賞者だから一番前なんですね。では、その田口綾子さんの「喪」から始めましょうか。じゃ、ま、点数を。

光: 7です。

五: 5。

堂: 5。

五: ほう。わりと高い点が付きましたね。では最高得点の光森さんからお願いします。この7という数字のニュアンスもお聞きしたいですね。

光: それぞれの点数の分布が異なるので、私たち三人での点数比較はあまり意味がなさそうですが……。私は6名の方の作品に7を付けました。

堂: では、7、というのは特別高いというわけではないんですか。

光: んー、いろんな7が6作品ありました。

五: ふむふむ。私の5点はわりと好み、という感じですね。堂園くんの5は?

堂: そうですね。だいたい同じです。4.5を±0、ニュートラルとして考えて5ですね。

五: なるほど。では作品を見ていきましょう。「喪」というタイトルが示すように、一連のテーマは親しい人への挽歌です。私は中でも4首目の

  • 川沿いを歩いたことなど遺影には写らぬ時間のことを語れり

が好きでした。「など」とありますから、いろいろなことを語ったのでしょうが、その中から「川沿いを歩いたこと」だけをピックアップしている。「川沿い」というイメージがかすかに時間の流れというか、無常感みたいなものを誘いますし、親密さも伝わります。

光: 私も4首目に◎を付けました。作品の中で相手がどういう人物なのかということがほとんど書かれていないですね。5首目

  • その先に彼が見たものを知らぬまま花瓶は水を保ち続ける

まで読んではじめて男性であるということが分かるのですが、4首目だけで相手の全てが語られているように感じました。ただ、「喪」という題は直接的すぎるかなと、感じました。

堂: そうですね、僕も4首目なかなかいいと思いました。ただ、僕はテーマの扱われ方が少し問題かな、と思います。光森さんが今、タイトルが直接的すぎる、と言われましたが、それはたぶん、田口さんがこの一連を「喪の歌」とかなり頭で意識していることが表れているからだと思います。つまり、挽歌を作る、と決めて作っている。そのせいか、終わりの2首、

  • 画数の少なき名字 白い花のように書いて、書いて、それだけ

  • 届かないものそれぞれに白い花の名前を与え終えて新月

がむりやり終わりっぽくなってしまっている、というか、オチっぽくなってしまっている。それが惜しいと思います。

光: そうですね。「白い花」の歌が2首並ぶのは、作者のなんらかの構成意図が少し強く出過ぎているように感じました。

堂: 先にイメージがあって、そっちにムリヤリ引きつけてしまった印象がありますね。

五: しかし、連作全体を見ていくとこの人は基本的にイメージの使い手ですよね。たとえば、1首目、

  • 電話から死は告げられて遠くなる十指に冬のざわめきやまず

の「遠くなる十指に冬のざわめきやまず」のように、感情をイメージに転換して美的に昇華するというのが持ち味です。1首目などは成功しているのではないかと思いますね。

光: 五島さんのおっしゃる話を引き継げているか分かりませんが、3首目

  • 銀紙を星のかたちに切るように命日という言葉を使う

の歌にも印を付けました。少し特別な紙「銀紙」に丁寧に星型を与えるときの静かな感じが伝わってきます。具体的に、どのような言い方で「命日という言葉を使」ったのかは書かれていないのですが、そこに不満が生じない。読み手としては、作者の伝えたいものをしっかり受け取った実感があります。その伝わるルートが、具体経由ではなくイメージ経由ということでしょうか。田口さんは後者が得意なんだと感じました。

堂: そうですね。それは田口さんの特徴ですね。では次に行きましょう。次は野口あや子さんの「拒食症だった私へ」です。まず点ですが、僕は3点です。

五: 私は4点ですね。

光: 私は7点です。

堂: けっこう割れましたね。では僕から。タイトルから分かるように、拒食症の「私」の感情を描いた連作ですね。やはり特徴は修辞の使い方だと思います。まず、面白かったのは、たとえば7首目

  • かあさんは食べさせたがるかあさんは(私に砂を)食べさせたがる

の歌の「(私に砂を)」の砂のイメージなど、ぶれがない。砂のニュアンスがきちんと伝わります。こうしたイメージの伝達の仕方が巧みだと思います。あいまいなイメージがない。ただ、そのイメージにパターンがあるというか、狭い印象があるのが問題かな、と。

光: 「イメージのパターン」について、もっと詳しくお聞きしたいです。私が体験したことのない拒食症の苦しさが伝わってきてよい印象を持った作品でした。その代表が堂園さんがあげられた7首目です。私はこの歌に◎付けてます。

堂: 好みの話に入ってしまうのですが、たとえば

  • すべらかにカルテは記せり言の葉に人工甘味料(ソルビトール)を匂わすわれを

の「人工甘味料(ソルビトール)」のなど、意味合いはよく分かります。「人工甘味料」の甘いけどうそくさい感じ。それを醒めた目で自分を見ている。ただ、この「人工甘味料」というレトリックは既視感がある。この既視感がある感じを野口さんの歌からわりかしいつも受けます。歌全体に既視感はないけど、レトリックに既視感があるというか。

光: 「言の葉」という語から「人工甘味料」は点滴で「ソルビトール」をうっているのではなく、「ソルビトール」入りのガムを食べている、と解釈しました。拒食症の治療をしている間にも自分が選んだ食べる物はダイエット食品である、ということなのかな。ですから、「人工甘味料」という語の選択はレトリック半分、体験半分であり、気にはならなかったのですが。

堂: ああ、そうかもしれませんね。そうか、体験半分か。

五: 先ほどの田口さんと比べると、野口さんは非常にリアリスティックですね。自分の姿を見据えようという気迫を感じます。だから言葉つきがごりごりしているんですね。そこがいいと思いました。ただ、

  • ただひとつ信じようとしていたものを広げて畳んでトイレで吐いた

  • 幸せになれという声 タンポポの根まで届けばもう知るだろう

の歌は私には意味が取りづらかったです。

堂: あー、確かに分かりにくいかも。

五: もうひとつだけ。作品ではないですけど、「初めて出会った歌」で中原中也の「腹たちて紙三枚をさきてみぬ四枚目からが惜しく思はる」という歌を出しているのが面白かったです。それに「四枚目から」が「将来」の喩として読める、ということを指摘されていて、読みにも興味を持ちました。

堂: それは僕も面白いと思った。では次。吉岡太朗さんの「ねこ」です。これはどうでした?

五: 私は6点。

光: 8点です。

堂: 僕も6点です。合計20点ですか。おおっ、けっこう高い。吉岡さんは内容、ストーリー重視派というか、リズムの快楽とか、助詞で微妙なことを示してゆらぎを出すとか、あんまりそういうことには興味がないですね。

五: ルサンチマンの発露という感じがあんまりないように見えますね。だから微妙なゆらぎみたいなものは必要ないということですかね。ストーリー的に言うと、「ねこ」というあだ名の「君」と「僕」とが、夏から冬のはじめにかけてを一緒に過ごした。その間にいろいろなことがあって、メールのやりとりなんかもあるんだけど、そもそものはじめから「君」は森へ帰ることが分かっていて、そのことが一つ一つの出来事を特別にしている。という感じでしょうか。この辺のストーリーはサブカルチャーのプロットを利用しているんでしょうね。

光: 「プロット」が敷かれているという点、納得です。1首目の

  • キッチンへカルピス作りにゆく君はいつか森へと帰ってしまう

の「森へと帰」る、は8首目

  • んんしょっ、って机を運んできたひとの染めた髪から(森はないんだ)

の「(森はないんだ)」、10首目

  • 着ぐるみの温き背を曲げ編んでいる帰らぬための尻尾のケース

の「帰らぬための」まで線が引かれている。「何でもない道でこける」しまうまは、たけうまに乗っても「こけそうになる」。そのように物語をつむいでいる一方で、ねこ、しまうまが想像上の「着ぐるみ」であること、「大学祭」という現実的な出来事との結びつきもある。だから「楽しい想像ですね」だけでは終わらない作品になっている。

堂: 吉岡さんはいつもサービス精神がありますよね。

五: エッセイで作品の背景を説明するあたりも図太い神経を感じます。最後の小さい字の一首

  • Message from Zebra(しまうま):けふ、ねこにケーキ屋さんを教えてもらった♪

の「けふ」など、芸の細かさを感じますね。こういう遊びはメールで私もやってしまいそうです。

堂: 吉岡さんだけひそかに(?)19首も出しているのですが、やはり一首一首のインパクトではなく、細かいシチュエーションを重ねていくタイプ。ひとつひとつの語に重みはなく、一見交換可能に見えるけど、全体から見ると意味を持ってくるというか。

  • つよくなる強くなるって言いながらハッピーターン丸ごと食べる

の「ハッピーターン」とか。あと、やっぱり穂村さんの子孫だなあとすごく思った。

五: 「ハッピーターン」への期待感は個人的な期待ではないですね。自意識が張り付いているというのではない。

堂: では次は原梓さん。「言葉は、食べることができない」です。僕は5点です。

光: 私は5点です。

五: 私は7点。

光: 字余りが気になって、歌の中に意識をすべり込ませて行くのが難しい作品でした。4首目

  • ひさかたの雨宮処凛のむらさきがしっくり馴染んでしまうにっぽん

の「ひさかたの雨宮処凛」や6首目

  • 信じられるものをつきつめればさきくさの中川翔子に薄桃(ピンク)の後光

の「さきくさの中川翔子」のような、枕詞を人名の中の漢字にかけることによって、その漢字のイメージを人名の中で強調する手法が見られます。そのことと、定型に対するゆるい意識とが、私の中でうまく説明がつかなかったです。4首目「ひさかたの雨宮処凛」は面白いなと思い印を付けました。

五: 1首目

  • 冷蔵庫という密室で胡瓜萎び果つ、その時われは傍観者だった

は三句目が「胡瓜萎び果つ」。ここを一気に読むと韻律も悪くないですよ。それに三句目の終わりの「、」ですね。ここにブレスを入れて下句につなげています。韻律に自分なりの息づかいを持ち込もうとする意識は高いんじゃないかと思います。

光: でも終わりから2首目

  • にてもやいてもくえぬものをやっきになってことばとはかくもやっかいだなあ

はどうですか。表記は全部ひらがな書きになっていて、わーっとなってだーっと定型からあふれる書き方の歌です。そのような歌に効果を持たせるためには、他の歌をもっとかっちり作ったほうがいいんじゃないですか。

五: 逆ですよ。「にてもやいても」のような全部放り投げとけっていう歌があってもいい理由は、文体の一貫性があるからじゃないですか。短歌研究新人賞の候補作になった原さんの一連もそうですけど、言葉が飛んだり跳ねたり、生き生きしているんですよ。こっちも楽しくなって

  • ぼくはもう、疲れましたと日国大。捨て鉢はおよし、と大漢和。

(詞書:「日本国語大辞典、大漢和辞典」)の「日国大」って本当に言うんですか? とか

  • 履歴書という定型にむにゃむにゃのわれを投じ「原 梓」となりぬ

の「原 梓」って新人賞で名前出していいのかよっ? とか言いたくなる。

堂: そういうつっこみ込みなんでしょうねえ、この文体は。

光: 1首目の「胡瓜萎び果つ」、7首目

  • こぼれたる半熟卵の黄身の黄がひかりのように我が手をよごす

の三句目「黄が」などどう思いますか。「き み の き が」は読みづらくてリズムが悪くないですか。

堂: 息が切れますね。

  • あたたかな言葉ほど言いよどむのでアボカドの種の重みをいだく

の「ので」とか、苦しいですよ。他は

  • 三人称で饒舌に話すわたくしのうそ寒く膝の裏側の汗

とかも読むと苦しい。ふつう、「うそ寒く」で軽く切れたくなるけど、次に「膝の裏側の汗」とあると、息継ぎする間もなく読まざるをえないと感じる。

光: なんというか、クロールの息継ぎするところじゃないところで、「はい、今!」と言われて息継ぎをさせられるような。

五: 「黄が」とか「ので」は勢いで読むんです。いけいけで明るいんですよ、この人の文体は。

堂: いけいけかー。

光: (いけいけって久し振りに聞いたなー)定型意識の共有が確信できないと歌に入って行けない、というのも心が狭いのかもしれないけれども、「勢いで読めばいい」をすんなりと受け入れるのは時間がかかりそうです。

堂: タイトルの「言葉は、食べることができない」の「、」にすごく個性というかリズムが出ている。なんていうか、「、」をつけたいんだなー、とすごく思った。この「、」に象徴されますね、原さんは。

五: ではそろそろ次に。次は川口慈子さんの「恋はいらない」です。点数を。

堂: 2点。

光: 5点でした。

五: 6点です。

堂: 五島さん、6点ですか。ほう。ではまず、僕から言いますけど、タイトルの「恋はいらない」につっこみを入れたい。

五: どうぞ。

堂: いや、だってこのタイトル、「恋はいらない」と言いながら恋がいるのがみえみえじゃないですか。読んだだけで。

五: まあ、恋と関係ありそうな歌が並んでいますよねえ。私はなぜこの連作に6点つけたかと言うと、

  • シースルーエレベーターの落日に燃えつつ我は宙に浮かべる

の歌が好きだったからです。そのほかの歌は確かに作りとしては甘いと思います。でもこの「シースルー」はやっぱり良くて、短歌の王道という感じがします。内容としては単純です。夕日に自分の存在が照らされて燃え盛りながら宙に浮いている、というだけですが、短歌が愛しそうな内容です。「浮かべる」という連体止めの詠嘆も効いています。

光: 9首目「シースルー」の歌は確かに良いですね。印を付けています。ただ「シースルーエレベーターの」の「の」の使い方はひっかかりました。主格の「の」であることがすんなりと分からなくて。

堂: そうですね。

五: そうですか? 私は主格の「の」とは取らずに読みました。燃えているのは「我」かと。

光: それならば、「落日のシースルーエレベーター」ならまだ分かるのですが、「シースルーエレベーターの落日」はひっかかります。ひっかかりを感じた歌がもう一首あって、7首目の

  • 電球を替えんと椅子に見下ろせば我が暮らしいる一室縮む

の「電球を替えんと椅子に見下ろせば」という箇所です。「電球を替えようとして椅子に上ったときに下を見たところ」という場面であることは分かるのですが、それをこの表現で本当に言い表せているか疑問でした。

堂: それ、僕も思いました。これだと、電球を替える動作をしながら同時に下を見ている感じ。手は上、視線は下、と変な動作を想像してしまった。

光: 好きな歌ですが、1首目の

  • 立ち上がる赤き鉄橋いつよりか我が内にあり君捨ててより

に◎を付けました。こちらから相手と別れたあと、心の内に立ち上がる鉄橋は、強さとも解釈できますし、強くあらねばならないという無意識の弱さをも感じさせます。しかし、それ以降に出てくる恋の歌は、1首目との接続がみられなくて、あれ?と感じました。

堂: そうですね。

光: 2首目

  • われの目を覗き込みつつ恋を語るギタリストと飲むいも焼酎

の「恋」と「いも焼酎」、4首目

  • 優等生らしきつぶらな梅干しを口に含めり恋はいらない

の「恋」と「梅干し」の組み合わせは面白いのです。ですが、恋に似つかわしくないものを持ってこようという意識が感じられるという意味において、結局「道具立て」に終わってしまっている点が残念です。

五: そうなんですよね。この人の特性ということを見ると、外に向って臆面もなく自分をさらけ出してしまえる強さが感じられます。「シースルー」の歌はそういう強さが生んだのだと思います。というところでしょうか。では次。佐々木博章さんの「大人になれると知った」です。点数はどうでしょう。

堂: 3点。

光: 5点です。

五: 私は3点です。では堂園くんから。

堂: はい。全体としては、主体は子供の頃に嫌なことを受けて、それについてこだわり続けている歌ですね。で、最後、それでも前に進んでいく、と結論づけられている。特徴は、そうですね、だいぶ散文的な文体ですね。5首目の

  • お前ほど嫌いな奴はいないから会う人会う人許せてはいる

など、こうした散文的な文体に疑問を持ちました。あっさりとした印象を受けてしまってこちらに届いてこなかった。この人の思い入れを情報以上に感じることができませんでした。どれほど嫌いなのか、僕には分からない。あと、さっき「結論」といったけど、最後の歌、

  • 靴底が減ってた今頃気がついたきちんと前に歩いていたんだ

は、むりやりまとめっぽくなってしまって、あまり評価できませんでした。

五: 57577の切れ目が必ず意味の切れ目にきています。このあたりが印象を薄めるんでしょうね。それから論理でできている歌が多いのも気になります。

  • 忘れ物昔は得意だったのにお前はいつまでも覚えてる

の歌も、小さい頃よく忘れ物をしたという、その「忘れ物」に引っかけて「お前」を「覚えてる」ということを出しているんですけど、それが分かると後に残るものはあまりないですよね。その分、内容の割りに軽くて読者に負担がかからないという利点はあります。

光: 一首一首分かりやすい点に好感を持ちました。ただ、表現したい話の始まりから終わりに向けて、寄り道なくコマを進めて行っているため、連作としての“面積”が小さくなってしまっている印象を受けました。2首目

  • 思い出にならないでほしい出来事が思い出になる それもたくさん

に印を付けたのですが、その2首目で書かれている「いやな思い出」が9首目で「忘れ」られると来たときに、展開が早すぎると感じられ、心の底まで心情が届かなかったです。これは10首という数が少ないためでなく、「寄り道」をしなかったことに要因があるのではないかと思います。連作の面積が広くなると、同じ歌数でも読み手の歩かされる(歩ける)距離は長くなるものだと考えています。

堂: なるほど。“面積”はうまい表現ですね。今度使おう(笑)。はい。では次。鷺沢朱理さんの「秋、友へ」です。僕は3点です。

五: 私は3点です。

光: 私は5点です。佐々木さんの作品同様、連作の面積が小さい点に難を感じました。職業詠であれ、なんであれ、読み手をこちらの世界に引きずり込むためには、一首一首を積み上げるよりも、一首目でグイッっと読み手の胸ぐらを掴むほうがよいのではと考えています。作品「秋、友へ」の場合、現在を歌った1首目

  • “忘れよう…”友をまさぐる指先の記憶はツッと切れて結婚式招待状

と10首目

  • “参加します”招待状に記すとき何か思いがふっきれたりもした

で回想を挟むかたちになっており、その枠組み自体はかっちり決まっているのですが、たとえば5首目

  • 思いっきりぶちまけてみる冬の日の男子一人が男子好くこと

を最初に持ってこられていた方が、私としては作品世界に引きずり込まれたと思います。

堂: うーん、そうですねえ。枠のかっちりさがうまく決まっていないのかもしれませんね。もう少しやわらかさが欲しかったかな。アスタリスクもちょっと疑問でした。

五: アスタリスクは必要ないでしょうね。それから口語が緩い感じがします。特に結句「刹那を後悔する」「涙して笑いに」「「お前が好きかも…」」「ふっきれたりもした」あたりは、字余りが機能しているのかどうか。

堂: 口語の緩さは気になりますね。添えられたエッセイに「自分なりの古典主義の完成を目指したいです。」とあるので、もしかしたら得意な文体ではないのをあえてやっているのかもしれませんが。

五: では次に小玉春歌さんの「メランコリー」です。私は4点をつけましたが、どうですか?

光: 5点です。

堂: うーん……、1点。少し表面的なことに目が行ってしまったのですが、やっぱり

  • 何もかも忘れて語り明かそうよ 女四人で行こう箱根へ

は。「女四人で行こう箱根へ」と言われてしまうと脱力してしまったので。行ってらっしゃい! としか思えなかった。最後の

  • 宵闇がビル・エヴァンスを引き立てる すべて許してしまえるほどに

の「ビル・エヴァンス」のゆるーい出し方とか。これ、ぜったいコンピレーション・アルバムのビル・エヴァンスですよね。「はじめてのJAZZ」的な。まあ、楽しんで作っているところは好感を持ったのですが。

五: ゆるーい感じがいいんですよ。下句「すべて許してしまえるほどに」とか。主体はにんまりしてますね、ここで。「有給休暇を課長に申請」なんて後ろに「!」マークが付いている感じがします。ここまでOLとして型にはまっているというのは逆に珍しいですよ。マンガのキャラみたいです。

光: 題の「メランコリー」にはじまり、「ストレス」「鬱」という言葉からは、今、社会で使われているような重い意味が完全に剥がされた明るい作品世界です。3首目の

  • 誰でもない君に会いたい一心で有給休暇を課長に申請

は面白くて、その突き抜けた明るさに○を付けた歌ですが、恋愛と仕事とを天秤にかけられるというのも、よく考えると「イマドキ」ではないようで不思議です。

堂: 軽いと思いますけどね、僕は。

  • 気心の知れた仲間が次々と東京を去る彼女の嘆き

とかも。

五: 軽さがいいんですよ。

光: うーん、歌の中の「彼女」はそれでいいのかなあ、とは思いますが。

五: というところで小玉さんは締めますか。

(つづく)

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プロフィール

  • 五島諭 1981年生まれ。「pool」所属。「ガルマン歌会」運営。
    堂園昌彦 1983年生まれ。「コスモス」「pool」所属。「ガルマン歌会」運営。

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