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2008年12月17日 (水)

2008年短歌研究11月号「新進気鋭の歌人たち」を読む(後)

堂: さて次は今村章生さんの「都市に爆薬」です。では、点数を。僕は3点です。

光: 私は6点です。

五: 4点です。全体にいら立ちの歌が多いですね。7首目、

  • だらだらと小銭で払う青年に舌打ちかましまたきなくさし

とありますが、四方八方に向けて「舌打ち」をまき散らしている印象です。その割に今村さん自身の思想内容があまり伝わってこないので、読後空虚な感じが残ります。その空虚さが常に不満足であるという、ステロタイプな青年像に重なって、そこが弱みでもあり、面白さでもあるような気がしています。わけのわからない怒りに触れた、という感触はなくて、既に知っているものが再現されているようで、その分読者は意外と安心なのではないかと思いました。

光: 「作者が怒り、問題と考えていること」に読み手の目が行く作品ではなく、「ある問題に対して怒っている作者」に目が行く作品だと感じました。右から左に思想を変えた「雨宮処凛」、(ニッポニア・)ニッポンと社会主義のキューバ、などわかりやすい提示はあるのですが、やっぱり怒る作者に目が行ってしまう。なぜなのかな……? 作者がそのように読まれることを意識しているのならいいのだけれど……。

堂: うーん……。作者の写真もそれを強化しているような気がしますしね。あと、メッセージ内容よりも怒る作者に目が行ってしまう理由のひとつに、単純に意味の取りにくい歌が散見されるのがあると思います。例えば1首目、

  • 爆薬の眼(まなこ)のおんな仰ぎ見るツイン・タワーに機影の流れ

の「爆薬の眼のおんな」がよく分からなかった。それと、2首目、

  • 徒にやっこを箸で切る俺のようであるらし無差別などは

の「無差別」は少し舌足らずかも。他は6首目、

  • 通勤の人々の面(ツラ)きなくさく吾ら弾頭の火薬のこころ

の「吾ら」って誰だろう、とか。自分を含む通勤の人々かなあ……。9首目、

  • 俺をまたぎ征く日輪のけぶたかれ亡国論者寒ざむと佇つ

の「けぶたかれ」のニュアンスがいまいち分からない。考えると少しは分かるんですよ。「無差別」が「無差別テロ」や「無差別殺人」だろうとか、「けぶたかれ」がなんとなくネガティブなニュアンスなんだろうなとか。しかし、考えないと分からないから、一首でスパーンと印象に残る歌ではない。自分の頭で考えさせる、というのでもないし、読み解きに単純に時間がかかってしまうのはマイナスかな。

五: そうですね。あんまり考えて読む歌じゃないんじゃないですか?

堂: まあそうなんでしょうね。あと、歌が覚えにくいのも、こうした内容のときに足かせとなっている気がしますね。

光: ツイン・タワーの崩壊の背景にあるものと、思想の右/左、国の主義、核爆弾の保持、それぞれはよく考えると全く違う問題ではないのですか? それを括れるものとして「怒る作者」がいるだけなので、そこに目を向けるしかなくなることになるように、考えます。

堂: そうですね。問題内容もよく見るとバラバラですね。うーん、僕はこんなふうに作者だけが伝わるのを見ると、なんとなく寂しい気持ちになるなあ……。うまく言えないですけど。

五: ではそんなところで。次は花山周子さんの「晩夏より初秋の風景」です。点数を。

光: 6点です。

堂: 僕は7点。

五: 私は7点でしたね。

光: 1首目、

  • 秋の陽を帽子の柄(つか)に遮ってマイ・フレンド靴の先を見ている

4首目、

  • 太陽は丸いかたちに咲く花だ割り箸割って炎天下なり

9首目、

  • いくつもの光があたる壺なれど鼠色という色を放てり

の歌がとてもよかった。一方で結語の音が「り」ばかりであることが、とても気になりました。「とても」というか「無茶苦茶」気になりました。口語短歌が「語尾の砂漠」にあえぎながら様々な工夫をしてきたのに対して、花山さんの歌は文語体なのに「語尾の砂漠」に迷いこんでいるような……。

堂: 枡野浩一さんの

  • でも僕は口語で行くよ 単調な語尾の砂漠に立ちすくんでも

ですね。花山さんは文語文脈っていうより、口語の文語バリエーションって気がする。

五: 1首目、いいですね。驚くのは4句目「マイ・フレンド」です。超力技。ここが「友達は」だったら駄目ですね。凡作になりそうなところでグニャーとねじ曲げてチャーミングな一首にしてしまうんですよね。そこのところのセンスには舌を巻きます。同じような手つきは2首目、

  • じっとしてんじゃないぜ喫煙者。煙のように消えてしまうぜ。

にもあって、内容で読ませるというよりも、最後の「ぜ」という呼びかけのテンションの高さで無理矢理一首にしてしまう。10首目なども顕著です。

  • 秋なのか春なのかわからないような夕暮れを私はバスに乗って進めり

上の句は平凡。ところが、下句、「私は」を入れることで無理矢理定型を崩して重くし、最後の「り」の言い切りの凛々しさで一首に仕立て上げてしまう。そこに力強さがあります。

堂: そうなんですよね。

五: ただし、この手法が頻発すると、5首目、

  • 雷の所在は知れず手の平を漠然と光てらす窓際

のような定型で、しかも結句に「なり」とか「たり」とかを使わない歌が印象として弱くなるような気もします。

堂: 花山さんは韻律の魅力が大きいですからね。7首目、

  • 視覚的な画家の散歩がキャンバスに盲目的な絵を描かせたり

も「視覚的」と「盲目的」は対比なんだけど、正確には全然対比ではない。というか、よく分からない。「盲目的な絵」のイメージが湧かない。しかし、この韻律で説得されてしまうところがあって、「作者はこう思ったんだろうなあ」と思わされてしまう。なんだかんだ言ってそう思わされてしまうのは力だと思います。

光: 「り」の言い切りの凛々しさ、8首目、

  • 君に贈る青いビー玉ぼんやりと手に乗せしのちわがものとせり

の歌のすっぱりとした気持ちの良いわがままさと、エッセイの「偽善的な駄作に過ぎず」という言い切り、それぞれの根っこは同じような気がしました。では次は川島信敬さんの「ピンク」です。……って司会を始めてしまっていますが……。私は6点です。

五: 8点。

堂: 6点。

光: 高い点数を付けられた五島さんからコメントをお願いいたします。

五: うーん、8点は少し高すぎたかなあと思いますが、文体に可能性を感じました。9首目、

  • ゆるやかに右折してゆくバスのなか君の思想を考えてみる

のような歌は、他の人の連作に入ったら駄目になってしまうんですけど、この人の連作だと違和感がないんですね。無理がない。こういうことが言える文体を見出したことに価値があります。こういうちょっとした機微みたいなものが扱えるのは、「かしら」とか「くれたね」のような女性的、あるいは中性的な口調のおかげだと思います。

堂: 機微が伝わるのは、確かに文体の力かな、と思います。ただ、そんなに見たことない文体ではない気がして。わりとよくある気がしますけどね。あと、単語のランダム性も気になる。具体的に言うと、2首目、

  • 好きな本ベスト10をいいあってヘルマン・ヘッセだけがかぶった

の「ヘルマン・ヘッセ」はどんな本でもいいと言えばいい気がするし、3首目、

  • 年金と四書五経を論じつつこころは君に傾いてゆく

の「四書五経」もそう。6首目、

  • ひやむぎのピンクではしゃぐおとうとといもうとがいて、きのうのことのよう

の「ひやむぎのピンク」もそうだし、7首目、

  • クールベの画集繰りつつおもいだす蛙にしてたひどいいたずら

の「クールベの画集」もそうですね。この、「どんな単語でもいい感」はすごく特徴な気がします。良いか悪いかは分からないけど。

光: 軽い口調のすーっとした文体ですが味があります。9首目の歌は、8首目

  • シュヴァイツェルとシュヴァイツァーの間をおもい岡井隆の野原で遊んでいるの

に「岡井隆」が含まれていることから、

  • 雨脚のしろき炎に包まれて暁のバス発てり勝ちて還れ     岡井隆

が思いおこされますし、

  • ここよりは先へゆけないぼくのため左折してゆけ省線電車    福島泰樹

の歌も浮かびます。本が好きなのでしょうか。その文脈で考えるとヘッセ、四書五経、画集など、本に関する歌が多いですね。ところで、5首目

  • 幸福というほどではないけれど、加部くんはいまも怒ってるのかしら

のこの「加部くん」って……。

五: 何か、連作に一首は必ず入れるシリーズものみたいですね。短歌研究新人賞次席の「スピン」の3首目にも

  • 歳月はひかりのように過ぎるけど、加部くんは猫を飼ったのかしら

とありますし。本が好き、というのも軽くウェットな感じか……。こういうウェットで、悪く言うとちょっと女々しい文体っていうのは、堂園くんの言うとおり珍しいって感じはしないですね。音楽だと曽我部恵一とかくるりとかの路線だと思います。ただ短歌ではあんまり見かけなかった。

堂: 確かに短歌ではあんまり見ないのかも。誰かいたような気がしましたが、じゃあ誰と言われると名前が挙がりませんし。ではそろそろ次に。石川美南さんの「海を分ける」です。僕は5点です。

五: 私は6点です。

光: 私は7点です。

堂: 石川さんは文体がもうしっかりとありますから、どうしてもその期待度の中で読んでしまいますね。だから、今回もバリエーションのひとつと考えました。石川さんは連作の作り方が独特ですよね。物語をいつも作ろうとしている。そのために歌を奉仕させている雰囲気がいつもどこかにあって、例えば2首目、

  • 公正を期するためにはできるだけまつすぐな流木が必要

はいわゆる文脈を説明する、普通の「地の歌」というよりも、奉仕している歌、という感じがしてしまう。つまり、「地の歌」のようにうまく読み流せないし、かといって、一首で立ち上がってくるものがない。だからどこか落ち着かない気持ちになってしまいました。難しい問題なので、「この歌を抜け」とかそういう話ではないですけど。僕がいいと思ったのは、3首目

  • 砂浜の砂をぬぐふと一枚の証書出てきてそこに印鑑

や8首目、

  • 伏線のとんと出てこぬ小説を決別の章まで読みとばす

などです。

光: 1首目の

  • 話し合つて分け方決める 沖に浮く島は私の方でひきとる

で読み手をぐいっと世界に引きずり込む。その後ずんずん連作の世界を先導してゆくのが石川さんの連作のうまさだと思います。ときどき読み手のほうを振り返って、ついてきていないようならば、まだぐっと引きずり込みなおす歌を置く。今回では、6首目の

  • (微笑を絶やさぬままに)組み上げたばかりのテトラポッドくづせり

が「引きずり込みなおしの歌」かな。「この世界はテトラポッドを組み上げる世界ですよー」という念押しを、計算されたタイミングで挿入する。

堂: ふむ。

光: 石川作品の特徴としては他には……、3首目に出てくる「証書」や「印鑑」の出し方があると思います。空想的な世界にこういう現実的な道具を持ってきても、自身の作品世界が崩れないことを良く知っているし、むしろ自身の作品をより遠い空想世界に引っ張り上げるものだと知っている。

五: 良いと思ったのは8首目の「伏線」の歌です。一連でこの歌だけ物語を完全に無視して読めました。4首目

  • 水平線ふたつに割つて朝焼けの広がる側を貰ひ受けたり

は一首だけ切り離せば好きな歌でしたが、この中に入ってしまうと良さが消える気がします。10首の連作で物語を作るのは厳しいのではないか。気になったのは最後の歌、

  • ひさかたの光あてれば歓びにうらがへりうらがへる魚(うを)たち

は「歓び」すぎなのではないかと感じます。

堂: 表現に淫している感じがしますね。

五: はい。ただ、単語と単語の距離をはかる物差しに独特なものがあるので、私は6点という感じです。といったところでしょうか。では次。柳澤美晴さんの「めばえ」です。私は3点でしたがどうですか?

光: 6点です。

堂: 3点でした。うーん、何から言えばいいかな。きちんとニュアンスが伝わるか自信がないのですが、歌から非常に作者の満足感が伝わってきて、そこに疑問を覚えました。言いっぱなしはよくないので、具体的に歌をあげますが、1首目、

  • 宛先に「廃墟」と書かれてある手紙五通くらいは届く気がする

は「届く気がする」と言われていますが、僕は「届かないだろう」と思ってしまった。どうしてそう思ったか。やはりその根拠がない気がしてしまったからではないか。

五: ふーむ。

堂: いや、もちろんはっきりした根拠が明示されていなくてもいいんですよ。例えば気持ちの強さとかで説得できる場合もあるし。しかし、この歌はそこらへんがふわふわしていて、「届かないんじゃないの」と言いたくなってしまう。でも作者は満足していて、僕が聞いても「届く気がする」としか言ってくれない。自分に一生懸命になるあまりに。

五: なるほど。

堂: 他には3首目

  • 塩基配列ひとつ違ってもきみに会えぬ不思議の世に照る月は

も疑問でした。「不思議の世」とありますが、この「不思議」はどのレベルの「不思議」なのか。「塩基配列ひとつ違っても」君に会えないというのは、それはその通りなんだけど、その不思議さはブルーバックスとか、新書とかを読んで感じるレベルの不思議さではないか。だから、なんというか、思考の枠が先にあって、歌があと、という気がする。世の中にはもっと不思議があるぞ! と僕は言いたいです。

光: うーん……。

堂: まあ、枠の何がいけないのか、と言われてしまうと、言いようがないのですが……。

光: 最後の歌、

  • ひとすじの潮の香りを嗅ぎ分けるキタキツネかも風(レラ)に吹かれる

は◎をつけました。「風」に「レラ」というルビを振らなくても北国のこととは分かるのですが、2首目、

  • 徹夜して実験をするこいびとよ水のカムイと語らいながら

の「カムイ」とのつながりで振られたルビなんだと思います。潮のにおいにピクッと反応するキタキツネの動きが目に浮かびます。一方で、「実験するこいびと」が何の実験をしているのかなどはよく分からなくて。別に何の実験か知りたいのではないのですが、自分自身の研究者になる(?)夢を歌った7首目、

  • 諦めた夢に小さく灯りいる丸底フラスコ三角フラスコ

もそうですが、「丸底フラスコ三角フラスコ」までしか踏み込まないのが気になりました。その踏み込まなさが、徹夜で実験する「こいびと」や「諦めた夢」を軽いものにしてしまっている気がします。そうではなくて、作者としては軽く出したいということなのかなあ。

堂: それが枠ってことだと思いますが。「理系」というかなり一般的なイメージに寄り添っている。

五: 戻りますが、「語らう」とか「しるき」とか「ぬばたま」といった歌言葉と科学っぽいワードはとても相性が良くて、何かしら大きなものに簡単に接続できたような気になってしまうところがありますよね。

堂: 労力なり、勇気なり、感情なり、そういった対価を払う必要なく使える言葉ですからね。簡単な印象がしてしまいますね。そうした言葉のすべてがいけないわけではないのは当然ですが、今回はあまりうまくいっていないと思う。

光: うーん……。5首目の

  • ぬばたまの夜をつらぬく性愛のめばえひこばえさかえあれかし

の歌は柳澤さんしか歌えない独特なものがあって、その独特さはうまく言えないのですが……、注目しています。

堂: では次に。笹公人さんの「笹公人ファンタジー劇場2008」です。僕は4点。

五: 私は3点です。

光: 私は7点です。一つの世界が確立されていますね。タイトル「笹公人ファンタジー劇場2008」の「2008」がその表れと思います。「2009」「2010」……と続けられるし、続けるという意思のようなものを感じます。5首目、

      「愛と死をみつめて」

  • 「広末にミコの役などできるか」と怒るオヤジに注ぐ日本酒

と6首目、

        「伊豆の踊り子」

  • 「薫役やれる娘などいない時代」と嘆くオヤジにうなずいており

7首目、

  • 童貞のクラスメイトを数えれば阿弥陀籤のごと伸びる正の字

と8首目、

  • 真乙女(まおとめ)のクラスメイトを数えればノートの隅に光るTの字

の歌のペアなど笑わせつつも、ほんのりとしたノスタルジーが後味に残ります。薫役は山口百恵が演じたときですかね。

五: そうなんですかね。

堂: 笑わせようとしていますね。でも誰でも笑えるかというとどうかなあ。僕にはピンとこなかった。

光: 私は楽しめましたよ。

堂: そうか。好みもあるかもしれないですけどね。なんていうか、この「ほんのりとしたノスタルジー」と「少しひねりを加えた笑い」を楽しめないと、他に楽しめるところがないと言うか……。

五: そうですね。すでに文体を確立した人ですから、それを楽しめるかどうかということになりますね。その徹底度は認めるにしても、好きかと言われるとちょっと……。好みの問題で3点ですね。それから細かい点ですが、7首目は、正の字が阿弥陀籤に見えなかったです。

光: 正

   正

   正

   正

……ちょっと無理があるかもしれませんね。

堂: あと最後にひと言だけ。4首目、

  • 地獄学園遅刻常習者の持てるバケツに揺れているプルトニウム

の「プルトニウム」は東海村の事件のことでしょうけど、こういう詠い方はどうなんでしょうか。確かに事件を風化させない意味合いもありますし、あの事件はこの歌のようにどこかしら滑稽な空気がありましたが、イージーに歌いすぎというか。なんでもかんでも深刻ぶるのも問題ですが、こんな感じでまとめられてしまうと、それで終わり、という気もします。笹さんはそんなつもりないのかもしれないけど、題材を扱う手つきに「あれを笹公人的に面白くしてみました」というのが見えて、どんな事件でもこんな感じにまとめることができそうで、事件の個別性は失われてしまっている。そのまとめ方はちょっと批判したいかな。

五: では次。しおみまきさんの「水のゆうれい」です。私は3点。

堂: 5点。

光: 6点です。

堂: 異様な感じを受けて、目が止まりました。このひらがな、表記はなんでしょう。例えば、2首目、

  • 赤ちゃん。はすきかきらいかぴちゃぴちゃとおだてるように啜るポタージュ

の「赤ちゃん。」の「。」に一種、ぐにゃあとした強い感情を込めていて、その異様さにうーむと思いましたね。うまく読み取れていないところも多いですが。

五: 良いと思った歌は3首目、

  • ほとばしるおとこのせなか上下してうなばらせんり万里遠泳

です。この歌は遠泳の男の人を見ているのだと思うのですが、フェティッシュな視線を加えることで性愛のような感じも出ていて面白いと思いました。「せんり万里」あたりが心地よい感じがします。ただ「上下して」は情景が取りづらかったです。

光: 「上下して」は平泳ぎの動きでしょうか。その歌は私も印を付けました。1首目の

  • かなしみはきそくただしくびっしりとじゃばらのふたにはりついていた。

も印象に残る歌で、集合体恐怖症のような生理的な気味の悪さが浮かびます。

五: 5首目

  • 蛇口から水のにおいがするまではうまれてたことわすれてました。

や6首目

  • いしきはねとけてゆくのよてのひらでこねられてゆくにくのかたまり

ですが、ポーズがなんとなく気になります。「うまれてたことわすれてました。」は嘘だと思ってしまいます。6首目はハンバーグか何かを作っている場面でしょうが、ちょっと気色悪いです。もちろんねらってやっているのだと思いますが、私は嫌でした。だから3点は多分に好みの問題です。

光: 6首目はその怖さに魅力があると思うのですが。

五: はい。分かります。意識的ですね。

堂: 僕も分かります。

光: では次は高島裕さんの「つややかな檻」です。

堂: 僕は7点です。

五: 6点です。

光: 7点ですね。1首目の

  • 夕窓に妻の不貞を覗きゐつ どくだみの香にひとり噎せつつ

に象徴される淫猥な雰囲気の作品です。2首目の

  • 女より生(あ)れしこの身に堪へたる女性憎悪といふ重き蜜

の「女性憎悪といふ重き蜜」や3首目の

  • 痛痒は快楽(けらく)に紛ふ、さらになほ傷つきたくて指を挿しゆく

「痛痒は快楽に紛ふ」など、自己処罰を繰り返す歌が並んでいます。

堂: そうですね。どの歌もかなり言葉に負荷がかかっていますね。「快楽」とか「矜り」とかかなり強い言葉です。でも僕は読むときにそれほどこちらの負担や疲労は感じなくて、カッチリと気持ちの強さが伝わりました。4首目、

  • 愛といふ戦争(いくさ)果てなく続くのみ 炎のいろに眼は濁りつつ

の「炎のいろ」など、大仰な言い方ですけど、その大仰さにきちんと意味がある気がしました。ロマンチシズムの強さに由来してるのでしょうね。内容として賛否はあるかもしれないですが、こうしたロマンチシズムの強さが伝わることがよいと思いました。

五: 同感です。ちょっと今回の連作から話がずれますが、私は高島さんの歌を読むと杜甫を思い浮かべます。詩の叙情と思想との同化という感じ。杜甫も自分の身の上を憂えたり、家族を愛したりといった叙情と王朝への忠誠心との同化という感じがするんですね。政治について常に一家言あるぞ、という態度があります。その思想内容の是非は全く別の話ですが。10首目

  • 働きてこそ婦(をみな)なれ、野に立てば大地へつづく裾のゆたかさ

の「働きてこそ婦なれ」のあたりに独特の思想の一端がうかがえます。良いと思った歌は7首目、

  • 一様(ひとざま)の可視光線で測りたる美醜ですべて決まるだらう か?

です。ただ今回の連作は高島さんとしてはあまりいいとは思えませんでした。

光: なるほど。

堂: それほど力の入った一連ではないかもしれませんね。では次、大井学さんの「晩夏」です。僕は5点です。

光: 6点です。

五: 4点です。

堂: 静かな歌ですね。日々のささやかなところに悲しみを見出している。8首目、

  • めを瞑るときすらまなこはそとがわにむきてあることしばし瞑らな

など非常に繊細で内省的ですね。こうした姿勢に好感を持ちました。

五: はい。私もぎらぎらしていない感じに妙に安心しました。透明感がありますね。ただ、4首目、

  • 電車にてひらきしページにはしる紙魚ひとひ連れればみのがしており

の「連れれば」の活用は文法的に正しいのかどうか。あまり自信はないですが。その他にもいくつか表現に無理のある歌があるような気がします。

光: 5首目、

  • わが肩にもたれくる頭おっさんの眠る髪から〈メリット〉香る

の「おっさんの眠る髪」、6首目

  • 水飲めばわが密室にみずわたり君すむまちに雨をふらせり

の「みずわたり」、7首目

  • 白鳥はどこまで来しや 蝋燭はおのれ消しつつあかき火を生く

の「蝋燭はおのれ消しつつ」、「あかき火を生く」あたりが語順や助詞の省略が気になりました。でも6首目の歌はスケールが大きくて好きです。10首目

  • のちにくるかなしみのごと秋冷は首都にあさもやみたしておりぬ

もいい歌だと思いました。

堂: 文法は僕も多少気になりました。なーんか少しだけ変な気が。あと、5首目は連作の中で雰囲気がこの歌だけ違ってあまり生きていないような気がしました。

五: では次は田中教子さんの「桃を食む」。点数を。

堂: 3点です。

光: 7点です。

五: 私は2点です。

堂: はい。えーと、少し恣意的なところが気になりました。1首目、

  • 鴨肉を捌(さば)けばくらき胸の中かつて飛びたる空がひろがる

の「かつて飛びたる空がひろがる」はとても恣意的な見方で、なんでそう思ったか分からないし、本当にそうなのか、とやっぱり思ってしまう。思ってもいいけど、説得力を感じないのはどうかと。その原因はやはり言葉遣いだと思いますね。「くらき胸の中」とか「かつて飛びたる」とか「空がひろがる」とかこうした言葉が一般的でゆるんでいるから、内容に感動できない。

五: 確かに、内容としては葛原妙子が歌っても不思議はないけど、葛原は文体や韻律がもっとピシッとしてるから説得力がある。

堂: 9首目、

  • 莢黒きバニラを裂けば知らざらし母の心の奥底の闇

の「心の奥底の闇」とかも一般的でよくある言葉すぎて、どうかなあと思いました。

光: 構成意識が高く、いい作品だと感じました。1首目の「鴨肉を捌く」私と、4首目、

  • 刃の先にひらかれるとき肉体を離れし我が海辺を歩く

の手術でメスを入れられる自分、1首目の「空」、5首目

  • 朝採りの無花果の実を頬張れば亡き祖母(おほはは)の我を呼ぶ声

のどこからか呼ぶ祖母が10首目、

  • 冴え冴えとひかる空より何者かの見つめる視線 桃食むときに

の空からの視線につながるように思います。

五: どの歌も食べ物をきっかけとして広大なものにつながったり、死者とつながったりしています。「食べる」というより格式ばっていて「飲食(おんじき)」という感じなのがちょっとどうか。それから、接続が急なのを支える韻律を欠くために、大仰な感じだけが残るように思いました。「大仰な感じ」を具体的に言えば、「生ある今の不思議を思ふ」や「ながらへわたる」などに違和感を覚えました。そこは狙いなのかも知れませんが。

堂: そうですね。では最後、米田収さんの「水」です。点数を。

五: 3点です。

光: 8点です。

堂: 僕は5点でした。

光: 4首目以降は全部○をつけました。過去を思い出しての歌ですよね。年上である好きな人が4首目、

  • 頬高の細きおもてをよそほひて嫁ぎゆかむを見に来よと言ふ

で嫁ぎにゆくところなど、私も涙が出ます。

五: 精神の高揚が感じられますね。ただし、9首目、

  • かつて雲や雨や樹や草や少年だつた 水はるばると卓上に澄む

などはやっぱりオカルトだと思います。オカルトというのは、根源的なことや形而上的なことを言うときに一般に流通している安っぽいイメージを使ってしまうこと、くらいの意味です。こういうところにロマンを感じるというのは分かりますが、安すぎるような気がします。良いと思ったのは7首目、

  • 若狭より栃の木峠を越ゆるそら真水を見たる鳥なきにけり

の歌。渡り鳥が湖に降り立とうとする場面でしょうか。すっきり読めていいと思いました。

堂: 僕は高揚に好感を持ちました。3首目、

  • 年下のわれをかなしく言ひ含め去りにし君を夢に千回愛す

の「千回愛す」など、勢いが感じられて面白かった。「千回かよっ」って。ですが、9首目のイメージなど、ありがちだと思ってしまいましたし、一般に流通しているイメージはあると思います。

光: 9首目は良い歌と思うんだけどなー。「かつて少年だった」ではなく、「かつて雲や雨や樹や少年だった」と言うことで、それまでの歌で思い出の中で動いていた若いころの自分が、思い出せるものすべてに拡張される。ずんずんと巨大化する。その視点が下の句の「水はるばると卓上に澄む」という俯瞰的な表現につながるのでは。もちろんひとつ前の歌の鳥の視点でもあると思います。

堂: なるほど、というところでそろそろ締めますか。ふー、疲れた。長丁場でしたね。ところで光森さんの好きな食べ物は何ですか?

光: とくには、ありません。

堂: あれ? なんかコーヒーゼリーソフトを何度か食べていましたよね。

光: あ、それは大好きです!

五: 私は大判焼きが好きです。つぶあんが食べたいな。

光: あ、それも大好きです!

堂: お二人ともお眼が高い。大判焼きは日本三大甘味のひとつですからね。

光: コーヒーゼリーソフトは?

堂: それはランクインしてません。

五: それでは解散しますか。お疲れ様です。

光: お疲れ様です。

堂: お疲れです。

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プロフィール

  • 五島諭 1981年生まれ。「pool」所属。「ガルマン歌会」運営。
    堂園昌彦 1983年生まれ。「コスモス」「pool」所属。「ガルマン歌会」運営。

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