長塚節の歌を読む
堂: こんにちは。
五: こんにちは。
堂: 秋の短歌行です。よろしく。
五: 今日は大井町駅にいます。
堂: そして、我々はいまバーミヤンにいますが、ここにたどり着くまでに、さんざん迷いました。
五: さまよいましたね。西大井で降りたんですけど、そこから大井町までちょっとした小旅行でしたね。ファミレスがどこにもないっていう。
堂: 途中で交番でお巡りさんに「ファミレスないですか」って聞いて、ありますよって言われたけど、そのファミレスはどこにもなかったね。
五: そう。ファミレスじゃなくて煮豆屋とかしかなかった。
堂: 昭和20年くらいから動いていそうな洗濯機のある家とか、路地裏で遊ぶ子供とか、染物工場とか。
五: 昭和をくぐり抜けてきましたね。そういった意味で、風情のある、なかなかいい旅でしたけど。
堂: で、けっきょくコンビニの店員さんに聞いて、バーミヤンを教えてもらったんですよね。
五: はい。ようやくたどり着いて、もう一仕事終えた気になってますが、始めましょうか。
堂: 秋の日はつるべ落としですし。帰りたくなっちゃう前に始めましょう。
五: 「島山のつるべ落としの喫茶室」という句は誰の作だったかな。まあいいや。始めましょう。
堂: はい。では今日のテーマは長塚節です。今回も五島さんおすすめで。
五: そうそう。長塚節、いいんだよー。いっぱい取り上げたいけど、まずはじめはこれからいきましょう。
- 暑き日は氷を口にふくみつつ桔梗(ききょう)は活けてみるべかるらし
どうですか、これ?
堂: そうねー。……いいですねえ。桔梗がいい。桔梗が。
五: あー、桔梗いいですねえ。
堂: 桔梗、好きなんだよなあ……。風情のある歌だね。しかし、想像してみるとけっこうヘンなことしてますよね。氷を口に含みながら花を活けるおじさん。
五: ですね。しかしまったく嫌みはないですよ。氷がとっても涼しげで、だから桔梗もとっても涼しげに響くんです。暑くて氷を食うなんてことはみんな経験してるはず。特殊な感じはしないなあ。
堂: そうね。特殊ではないし、みんなやるけど、花を活けるときはやんない気がするし、あとここに視線を持ってくるあたりがさ。
五: たしかに実際にはやらないっていうのは分かります。しかし、花を活けるというのも昔ながらの暮らしという感じで、実際にはやらなくても文化的に染み付いたものでその組み合わせという感じも少しするんだよね。
堂: まあ、そうだね。ちょっと特殊さに注目するのは性急だったかもしれない。
五: うん、なんというか、完成されたものっていう感じがするんですよね。長塚節が特別なことをしているっていうよりも、日本人の共通感覚に訴えてくるような
堂: わかります。話の持っていき方が悪かったかな。この感じは時代の違う僕にもとてもよく分かって、なんていうか、「なじむ」感じがある。でも同時に、ただ自然な行為そのままという気もしなくて、ある作られたもの、もっといえば、表象的な光景でもあると思うんですよ。
五: そういうことですね。俳句のエッセンスを「俳」と「詩」に分ける考え方があって、すごく平たく言えば伝統有季定型を「俳」志向、高柳重信や西東三鬼やそれを受け継ぐ人たちを「詩」志向と言ったりするみたいなんだけど、それで言うと長塚の作風は、とくにその良質な部分はこの「俳」に近いと思うのね。ある表象の体系に向かって言葉を組み上げていく、というのに近い。
堂: そうだね。この「俳」というのも、かなり抽象的なもので、実際に体感できる感覚――まあもしそういうのがあったとして、ですが――とは少し違ったものだと思う。「俳」はかなり歴史的な堆積があるから自然に受け取れるけど、実はかなり抽象的なものを作り上げている気がする。
五: そう思います。外国人からしたら相当エキゾチックなんじゃないかなあ。
堂: でも、そういった抽象性を含んだほうがリアリティを感じられる、ということもありますよね。ほら、絵画なんて全部表象の世界、人間の目が見える世界とは異なった世界を描いているけど、そこである程度抽象的なものを含んでいたほうが実感に訴えかけることが多いと思うし。スーパーリアリズムの絵画よりもセザンヌのぼやーっとした絵のほうがリアルだなー、と僕は思うけど。
五: それは分かるけど、その対比が長塚の場合に当てはまるかなあ。むしろ長塚の象徴性には生活史が染み込んでいるというのがポイントかもしれない。このあいだ取り上げた「町」で、土岐友浩さんが芭蕉の
- 春雨や蓬をぬらす艸の道
という句を引いていたけど、これなんかもプリミティブな風景という感じはあまりしなくて、むしろ相当観念的な風景だと思う。春の蓬の芽のやわらかさや、摘んだときの匂い、といったことを共有観念として持っていなければこの句は分からないと思うのね。
堂: なるほど。
五: 僕は子供の頃はよく蓬を摘んだし、蓬もちを作ったこともあるけど、そういうのをしたことがなくても言葉の中にそういう生活史が残っていて、それが共有観念として機能するということだよね。そういう意味では、この「桔梗」の歌なんかも日本人の生活史と分かち難い関係にあると思います。そこに「風情」を感じ、リアリティを感じるんだと思う。
堂: そうですね。ただ、僕は蓬を摘んだことがないからか、芭蕉のこの句はピンと来ないです。
五: そうか、やっぱり体験も重要なのかなあ。他の歌も見てみましょう。
- 吸物にいささか泛(う)けし柚子(ゆず)の皮の黄に染(そ)みたるも久しかりけり
これはどうですか?
堂: ふむ。これもいい歌だ。「いささか泛けし」の「いささか」がいいと思う。
五: 「いささか」は読みにくいけど、かなり情報量が多いよね。
堂: そうだね。たんに浮いているんじゃなくて、「いささか」浮いていると。その、浮いている柚子の皮の量がより正確になる上に、ひとつひとつの黄色がより濃くなる。そして、浮いている柚子の皮を見ている作者の視線の細かさまで感受できる。作者の視線まで情報として読み取れるということで、情報量が多いと思う。なんか、ブレーキかけながらアクセル踏んでるな、とこの「いささか」で思うんですよ。
五: 「いささか」は渋い。これがなければ黄色が映えないし、柚子を浮かべたその豊かな気分まで伝わってくるから。この吸物は美味い。味わっていない僕の舌が満足させられるんですよね。
堂: まったく。ぜったい美味いよこの吸物。
五: ですよね。
堂: あと、結句の「久しかりけり」もよいですね。ここで時間が重層化する。この柚子の吸物を食べる経験が一回こっきりでなくて、ある時間の流れの中に置かれるんですよね。
五: はい。だから、この歌を良いと思う人はこの歌の中の生活スタイル込みで良いなあ、と思ってしまうと思います。自分もそんな生活がしたい、まで行かないにしても、わずかに憧れみたいなものが生まれるんじゃないかと。特に現代の読者は。では、次の歌。
- つくづくと夏の緑はこころよき杉をみあげて雨の脚ながし
堂: あー、これもいいなあ。さっきからいいばっかりしか言ってないけど(笑)。この歌、内容は非常にシンプルですね。雨の中で杉を見上げていいなあ、とそれだけですね。
五: そうだね。
堂: でも、この歌で表されている感覚はとてもよく分かる。気持ちのよい風景を見たときって、「この杉の色が形が……」と思考に入っていくこともあるけど、それよりも「あー、いいなあ、気持ちよいなあ」と何にも考えないときのほうが多いですよ。鼻歌うたったりとかしてさ。鼻歌って、歌の内容や種類が大事じゃなくて、鼻歌うたうってこと自体が気持ちよい。それと同じでこの歌も何か言っているわけじゃなくて、言葉を発すること自体が気持ちよいという歌だと思います。それを表現できるのがけっこうすごい。
五: 気持ちいいよねえ。ただそれだけ。余計なものがないんですよね。こういうのを構えがいいと言うんだろうな。初句「つくづくと」と結句「雨の脚ながし」が気持ちよさを増幅している。
堂: そうだねえ。結句のこの字余りで流す感じが、「気持ちよいなあ」という感じ、鼻歌的な感じとよく合っているんですね。
五: そうそう。
堂: こういった言葉をゆるやかに使うやり方は学びたいね。
五: では次に。
- いささかも濁れる水をかへさせて冷たからむと手も触れて見し
堂: この歌はどういう歌なんですか?
五: 詞書に「草の花はやがて衰へゆけども、せめてはすき透りたる壜の水のあたらしきを欲すと」とあります。花壜の水を替える歌というわけです。このころの長塚節はすでに病がちなので、病室だと思います。
堂: なるほど。
五: この歌は「冷たからむと」にまず心の動きがあり、続いて「手も触れて見し」に体の動きがあります。この下の句がとてもいい。水が濁っているかどうか、というのと冷たいかどうか、というのはイコールではなくて、でも透き通った水を見たときに冷たいだろうなあという思いが湧くのは、一片の衒いもなくて生き生きしています。そして、心と体が連動した結句がとてもしなやかな印象を残します。
堂: あー、なるほど。分かりました。この歌もとてもいいですね。長塚節の歌はぜんぜん嫌みを感じないですね。
五: どうしてだろうね。
堂: 一服の清涼な水、というか。大きなものではないけれど、読むとスッとする。
五: うん。
堂: いつも茂吉を比較対象にして悪いけど、茂吉のこってりとだいぶ違うねえ。
五: 違いますね。杉の歌もこの水の歌もそうだけど、成功している歌は言ってることは複雑じゃないのに上から下まで読んでも飽きが来ない。それに対して、長塚節でも成功していない歌は、こってりしてない分だけ長さを感じてしまう。たとえば、
- あをぎりの幹の青さに涙なすしづくながれて春さめぞふる
- 倒れたる椎(しひ)の木故に庭に射す冬の日広くなりにけるかも
なんかは、何か読んでいる途中で長いなあと感じてしまう。
堂: 一首目なんか特にそうですね。
五: 途中で飽きてしまうでしょう?
堂: そうだね。なんか「長い」ね。
五: 「長い」よね。
堂: 何が違うのかなあ。
五: 二首目なんかはなんかいいような気もするけど、読むと「長げーなあ」と思っちゃうんだよね。
堂: 分かる。「冬の日」あたりで飽きる。
五: 不思議だなあ。では、最後に。
- しめやかに雨過ぎしかば市の灯はみながら涼し枇杷うづたかし
です。これは中学2年生の教科書にも出ていると思います。とってもいいと思いませんか?
堂: うーん、いい。これ中学生の教科書に載ってるんですか。はー。
五: 市の灯と枇杷の橙の重なりが美しい。その橙も濡れてしっとりしていて、風は少し冷たく、市場のいろいろな匂いや音を運んできます。
堂: うん、分かります。ちょっと夕方なんですね。
五: そうそう。暮れていく風景だね。
堂: 「市」っていうのがいいね。「市」。テンション上がるよ、「市」は。「魚市場」でも、「商店街」でも、「ショッピングモール」でもダメで、「市」。
五: うん。「市」にはいろんなものが売ってますからね。そういうのがワクワクするんだろうな。
堂: そうそう。乾物とかね。
五: へんな豆とかね。
堂: そういう、パッと見ではわけの分からないものがあるのがいいよね。
五: めくるめく感じがする。
堂: 「ショッピングモール」にはゼリービーンズとか、ナイキのシューズとかしかないんじゃねえかっていう。
五: 分かっているものが売っている場所だよね。「市」のワクワク感はない。「市」のたい焼きとかたこ焼きとか美味いんだよね。誰がショッピングモールでたい焼きを購いましょうや。
堂: ありえませんね。
五: まあときどきは生協で冷凍食品のたい焼きを頼むことはありますよ。でもあれをレンジでチンして食べるときも、冷凍のたい焼き自体の美味さを味わってるというより、市や祭の残り香を食っているわけです。
堂: あの景色、あの匂い、あの喧騒を食ってるんですから。分かります。これは市ならではのものですね。高価なフランス料理を食うときに、シャンゼリゼ通りを食っているという人はいないでしょう。
五: これももしかしたら「俳」的な表象機能のなせる業かもしれませんね。
堂: 話が少々脱線してしまいましたが、この歌でも「市」にあるからこそ「枇杷」が輝くんですね。
五: スーパーでパックされた枇杷じゃねえ。
堂: あと、「うづたかし」もいいよね。
五: ゴージャスではないけれど。
堂: ゴージャスじゃないよ。ちょっといっぱいあって嬉しいっていう感じ。山になってて。
五: そうだね。あー、市に行きたくなってきた。
堂: ですね。
五: といったところでそろそろ夜ですし、終わりにしましょうか。
堂: そうしましょう。いやあ、長塚節、良かったですね。
五: 歌がべたべたしていなくて読後感がいいんですよね。今回は初のバーミヤン短歌行になりましたが、どうでしたかバーミヤンは。
堂: あっ、バーミヤン初だっけ? そうかあ。
五: バーミヤン初だよ。バーミヤンなんていかにも長居できなさそうじゃん。
堂: いわれてみるとそうだね。じゃあ、よく周りを観察してみましょう。
五: おっ、堂園くん、壁にこんな文句が掲げてあるよ。
堂: なんですか?
五: 「『バーミヤン』は、シルクロードの中心地にあったアフガニスタンの古都。隊商の休息の地、東洋と西洋の文化交流の地として栄えました。」へーそうなんだ。
堂: へーそうなんだ。続きは?
五: 「私たちバーミヤンは、世界をクロスオーバーさせた新しい中国料理をお届けします。」
堂: なかなかうまいこと言いますね。でも、もし店名が「南京」だったらまったくおんなじ料理を出してても「伝統の本格中国料理をお届けします」って言うよね。たぶん。
五: そうだねー。まあギョーザが美味いからいいんだけどね。
堂: ギョーザはギョーザというもの自体が美味い。
五: 万里の長城を食っているということだからね。
堂: なんかさっき言っていたことと微妙に矛盾する気がしないでもないですが。
五: そう?
堂: じゃあまあ、帰りますか。
五: はい。お疲れさまです。
堂: お疲れさまです。
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