『新撰21』を読む(中編)
堂: こんにちは。短歌行です。
ごぶざたしております。
諸事情により、またこれほど更新が遅れてしまいました。
申し訳ありません。
今回の収録は、文中にもありますが、昨年6月でした。
どうか、そのつもりでお読みくだされば幸いです。
それでは、どうぞ。
※※※※※
堂: こんにちは。
五: こんにちは。
堂: 六月。雨の短歌行です。
五: 今日は弘明寺(ぐみょうじ)に来ています。午後四時です。
堂: 到着早々少し小腹が空いたので、鮨屋に行きました。いや、昼の鮨屋はいいですねえ。
五: はい。僕はバッテラをいただきました。押し鮨って好きなんだよね。魚の風味がよく出ててさ。
堂: 僕は金目鯛を食べました。うまかったなあ。
五: 鮨はとてもよろしいファーストフードですね。
堂: そして今はガスト。弘明寺はどんな町ですか? 神奈川博士の五島さん。
五: 弘明寺といえば何と言っても桜ですよ。京急線の駅を降りて駐輪場の上の階段をのぼると公園があります。そこの桜がとってもいいんです。
堂: もうすっかり葉桜ですけどね。
五: 小雨と葉桜だね。そして、公園を抜けると小高い丘に住宅街が広がっていて、これまたとってもいいんですよ。さびれたクリーニング屋さんとか駄菓子屋さんとかもあって。ただの住宅街ってすごくいいよね。何で?
堂: なんでだろうなー。僕も休日はただの住宅街をひたすら歩いたりするんですが、すごく喜びを感じる。あ、この庭バラが咲いてるや、とか。
五: いいですよね。
堂: ところで、ここ弘明寺は弘明寺観音が名物です。家庭教師で何度もこの町を訪れている五島さんは当然……。
五: 一度も行ったことありません。
堂: だと思いました。では始めましょう。
五: 「『新撰21』を読む」の中編です。
堂: それではさっそく前回の続きから。中本真人さんです。前回と同じように句を挙げつつやりましょうか。では、挙げます。
- 野遊のボールに腰を降ろしけり
- それらしき穴のすべてが蟻地獄
- 釣具屋の磯の匂ひの水を撒く
一句目、サッカーボールとかバスケットボールとかの大きさのボールに屋外で座る。今はあんまり球技をやらなくなったからやらないけど、そういえば中学くらいのときはしょっちゅうボールに座ってました。
五: ああ、座った座った。座ると急に疲れた気がして、足元の草に目をやったりね。空を見上げたり。
堂: そういう風通しのよいイメージに惹かれました。二句目、家の庭とか砂場とかに、なんか穴がいっぱいある。それはみんなアリジゴクの穴だと。「それらしき」が面白い。そういえば、あの穴、あるとなんか気になってしまうよね、というところをとらえている。
五: うん。
堂: 三句目が一番好きかな。釣具屋って、私、見ると、おっ釣具屋だとか思うんですけど、その釣具屋から撒かれる水もなんか普通の水じゃなくて、特別な水なんだというのが少し嬉しいというか。まあ、海のそばだろうから、磯の匂いでも普通なんでしょうけど、こういうふうに詠まれると、お、水までいいなというか、撒いてんな、というか。
五: 三句目、ぼくも一番好きかもしれません。この釣具屋ってたぶん田舎の小さな釣具屋ですよね。オキアミとかイソメとか売っているから、独特の磯臭さがある。そういう店の中の感じとか、潮風の匂いとか、そういう諸々がぱーっと思い出されるんですね。こういう句を読むと、俳句って二物衝撃みたいな手法よりも似つかわしさを生かしていく手法のほうが合っているのかなあ、なんて思ったりします。
堂: 似つかわしさってどういうこと?
五: 釣具屋→磯臭さ→海風みたいな自然な連想が働くってことかな。もちろん二物でいい句があるのは分かるけどね。
堂: もしかすると、二物のほうがハードルが高いのかな、分かんないけど。
五: せっかく多くの人が共有している連想の体系があるんだから、それを使わないってい手はないかもって。中本さんのこの句だと自然にああ、おれもメバル釣ったことある、とか、ルアーってかわいいよねとか思ったりするじゃない。二物だと、読者ももっと頭を使わないといけないから、そこまで広がらなかったりして、読み手によっては含める情報が少なくなってしまう気がするのね。読者を選んでしまう。
堂: それはあるかもしれませんね。しかし、ルアーかわいいか? いや、かわいいけどさ。
五: まあ、だからといってどっちが優れているという話ではないんですけどね。
堂: ふむ。五島さんは中本さんではどんな句が良かったですか?
五: 釣具屋の句と、あとは、
- 落第のすぐに広まる噂かな
- 登山口よりいきなりの難所かな
- 遠泳の二の腕に書く背番号
- 顔舐めに犬寄ってくる帰省かな
あたりです。一句目、「落第の」から「噂」までに7音分の距離があって、そこにそこはかとない感慨が入り込みます。
堂: ふむ。
五: 人の口に戸は立てられませんね、堂園くん。
堂: 長屋のご隠居ですか。
五: 二句目、びっくり感が出てて、結構生き生きしている。
堂: そうだね。いきなりの難所に入ると、お、山だな、と気持ちが山へ入り込みますよね。それが、句を読むときにもシンクロして、ぐっと山道に入るように、ぐっと句に入り込める。いい句です。
五: いいこと言うね。三句目、質の良い筋肉が見えますね。「二の腕に書く」がすごく効いている。晴れててほしいな、この句の風景は。四句目、そういえば、前回の藤田哲史さんにも帰省の句があったような。ああ、これこれ。
- 粉わさび醤油に溶かす帰省かな 藤田哲史
- 顔舐めに犬寄ってくる帰省かな 中本真人
どっちも好きだけれど、どっちがいいかな?
堂: う~ん、そうだねえ、「粉わさび醤油に溶かす帰省かな」かな。
五: どうして?
堂: どうしてかー。うーん……、句の価値とはぜんぜん別かもしれませんが、個人的に僕は犬に親しんだ経験に乏しくて、うまく自分の中で再生できなかったのですね、この感情を。それよりも醤油に親しみがありまして。
五: わたくしも犬よりも醤油に愛情を持っている口ですけれども、どっちも帰省っぽさがよく出てて甲乙付けがたいなあ。藤田さんの句のほうがなんとなく可笑しみがあって、中本さんのほうがすっきりてらわない感じかな。
堂: うん。
五: でも俳句って文字数が少ない分だけ個人的な経験値によって好みが分かれるような気がするなあ。
堂: そうかもしれませんね。まあ、短歌よりも読み慣れていないという経験値の差も否めないですけれども。
五: そういえば中本さんは上から下まですっきりした感じの句が多いですね。そして、最後に「けり」「かな」が多い。
堂: あー、そう? 数えてみようか。ひー、ふー、みー……。うわ! 38句もある!
五: 実に40%ですね。これは多いんじゃないでしょうか。
堂: 『新撰21』でその次に並んでいる高柳克弘さんは、えーと、イー、アル、サン……。25句ですね。
五: やっぱり多い。
堂: あと、さっきから読んでても分かるけど、やはり季節を大事にしている感じがありますね。それが伝わってよかった。
五: それでは次に高柳克弘さんです。好きな句は、
- 浴衣着て思ひがけない風が吹く
- 目を寄せて試験管振る木の芽かな
- うみどりのみなましろなる帰省かな
- 入れかはり立ちかはり蠅たかりけり
です。一句目、洋服では感じられない風なんですね。「思ひがけない」が目立ちすぎるような、でもやっぱりこれでいいと思わせるような。少し判断に迷うんだけど、好きな句です。
堂: あ、その句覚えています。けど、うーん、ちょっと嫌かな。ちょっと。
五: どうして?
堂: 思いがけない、って言ってるけど、なーんか思いがけなくないだろう、その風は、と。
五: たしかにそこが少し人工的な感じがするんですよね。三句目、これも帰省ですね。「うみどりのみなましろなる」がドラマチックです。「醤油に溶かす」や「顔舐めにくる」のアナログ感がなくて、もっとずっと観念的っていうのかな、だいぶ味わいが違いますね。四句目、「入れかはり立ちかはり」の感触が説明しがたいんだけど、たしかに蝿ってそうだよね、と思わせられるというよりも、映像美みたいなところに力点があるような気がする。三、四句目共に、若干出来すぎな感じがあって、手放しでいいとは言いにくいけれど。
堂: そうですね。かなりデジタルな把握な気がします。「うみどりのみなましろなる」も、「あれ、さっき黒いのいませんでしたっけ? 高柳さん」と言いたくなる。
五: トビもいたしウミウもいましたよってね。でも「みなましろなる」が帰省をドラマチックにしているんですね。心情をがちっと固定していく。二句目、「目を寄せて試験管振る木の芽かな」は一番好きな句です。一生懸命目を見開いている感じが木の芽の生命感というか息吹に合っている。景色がぱっと窓の外に飛ぶのが気持ちいい。
堂: 私がとったのは、
- 秋の暮歯車無数にてしづか
- くろあげは時計は時の意のまゝに
- 秋冷や猫のあくびに牙さやか
あたりですかね。全体的に抽象的、かつコントロールの利いた把握だなあ、と。一句目、時計か何かの機械か分からないけど、歯車がたくさんあって、それが動かないでいる。その美しさだったり、怖さだったり、世界のルールみたいなものを見ようとしていますね。それが秋の暮っていうのも、滅びの予感みたいなとこで雰囲気に合っている。まあ、「秋の暮かー、ベタだなー」とも思いましたけれども。
五: ふむ。
堂: 二句目、これもルールですね。こういうふうに言われると、確かにそうだな、と。普段見ているものの裏側を見せられたようなね。
五: 僕は二句目は嫌だなあ。生理的に。いい句だと思いもするんですけど、なんか希望がない。時の意のままでいいのか、と思ってしまう。僕らは単に時の乗り物ですかって。
堂: そこらへんも非常にデジタルな把握だね。ドラマチックさを前面に出すために、現実の複雑さは犠牲にしている。でも、記憶に残るよね。これだけクリアーに提示されると。
五: それはその通りですね。しかも百句通読して安定している。短歌の若手では光森裕樹さんの、角川短歌新人賞受賞作について、デジタルだと言ったことがあるんだけど、どこか冷めていて(?)理知的で安定度の高い印象は共通しているような気がします。光森さんは最近は作風が変わってきているけど。
堂: そうですね。私も光森さんを思い出しました。
- ストローの向き変はりたる春の風
のON・OFFに切り替わる感覚とか、
- 文旦が家族のだれからも見ゆる
の視界を幾何学的にとらえるところとか、
- 六面のうち三面を吾にみせバスは過ぎたり粉雪のなか 光森裕樹
を思い出します。素材の好みもどことなく似ている。
五: 「文旦の家族のだれからも見ゆる」は
- 柚子風呂の四辺をさやかにいろどりて湯は溢るれど柚子はあふれず 光森裕樹
も思い出しました。
堂: 読みどころがこれだけきっちりしているのは、なかなかできないし、目に留まりますよね。僕のとった三句目「牙さやか」なんて、きらっとした把握が冴えている。
五: うん。というところで次に。村上鞆彦さんです。
堂: では挙げます。
- 万緑や鞄一つが旅の枷
- 月の夜の大きな橋と出会ひけり
- 街灯下寒の轍の殺到す
一句目、いいですね。旅の感覚よく出ています。鞄は旅の必需品で、他は手放せてもそれだけは手放せないものだけれど、これさえなければより自由になれる。それが、自由にどこにでも行けるけど、自由にどこにでもは行けない感じ、あの旅の最中の独特な気分をよく表しているなあ、と。「万緑」も効いていますね。
五: 僕もこの句が一番良いと思いました。「枷」という言い方が身軽さ、自由さを求める気持ちを引き立てている。でも何もかもはうまくいかない、空想の自由さに浸りきらない感じがとても気持ちいいです。空想に浸ってしまうといろんなものが見えなくなってしまいますから。
堂: 二句目は「橋」がいいですね。特別なものに出会ったわけではなく、たくさんある橋のひとつだと思うけど、それが月の夜の散歩への距離に合っている。こういう特別じゃない特別さって、日常にあるなあと思って。
五: うん。
堂: 三句目も、そういった感じの句かな。冬の街灯の下にたくさん自転車か自動車の轍が見えて、それになんか心打たれる、と。100年ほど前のアメリカの、アルフレッド・スティーグリッツの写真とか思い出しましたね、私は。ただ、「街灯下」はちょっとつまった感じがして。「街灯に」じゃだめなのかな。
五: そこが少し残念だよね。でも情景はすごくかっこいい。僕の好きな句は「旅の枷」のほかに
- 伊勢海老の髭の先まで喜色あり
- うしろより手が出て恋の歌かるた
- つむりては眼いたはる青葉雨
などです。一句目、立派な伊勢海老を手放しで賞賛しているのがいい。おおーっ、いい伊勢海老だ、という感じ。「喜色」は伊勢海老のものではあるけれど、作者の顔もほころんでいる。
堂: うん。
五: 二句目、なんとなく格言めいていて面白い。いやあ、恋って怖いですね。
堂: いきなりなんですか。
五: 三句目、眼精疲労はつらいけれども青葉雨がしっとりとあたりをつつんで優しい。眼をつむっても雨と青葉がふっと香ります。
堂: 無視か。ともあれ、三句目もいいですね。全体的には、地味なんだけれど、抽象に向かって半歩、歩を進めるようなところがあって、それが特徴かなあ。無理に飛ぶのではなく、堅実な印象。
五: そうですね。それから、こぼれるもの、消えるもの、傷むもの、を句にしているのに、あるいは、しているからか、背後にとってもロマンチックなテイストがあるのが特徴だと思いました。
- 父の日の夕暮れの木にのぼりけり
とかにその特徴がよく出ている気がします。この句はこぼれるとか消えるとかはないですけど。
堂: はい。では次に、冨田拓也さんです。
五: 好きな句は、
- 気絶して千年氷る鯨かな
- 晩秋の夢殿を掌(たなごころ)かな
- 眼にのこる鉄(くろがね)の旗いなびかり
です。一句目、「気絶して」がいい。死んでいるんじゃないですね。また動きだす。千年王国の連想で、鯨はメシアか!? というような風情。神話っぽい。同時にマンガっぽい。
堂: はー、千年王国。そんなことは、私は思いませんでしたが、この句は印、ついていますね。やっぱり「気絶して」かな。ちょっと意外。死んだりすると、より視野が狭まる。気絶のほうが視野がやや広い。
五: 二句目、「掌」に焦点を絞っているのがいい。「掌」だけが夢殿を浮遊しているような感じがして。山岸凉子の『日出処の天子』を思い出しました。
堂: あー、僕は掌の上に夢殿があるのかな、と思いましたが。
五: そうか、そうかもね。三句目、稲光が明るいので残像は黒っぽい。それを「鉄(くろがね)」と言っているんですね。「鉄(くろがね)の旗」は何を意味するのか。
堂: 何なのでしょう。
五: 思い出すのは山中智恵子の
- この問いを負へよ夕日は降(くだ)ちゆき幻日のごと青旗なびく
の「青旗」。山中にとって青旗は一生をかけていくべき問いであり、魂の道しるべだったんですね。それはたぶん肉体を離れた思想はどこまで行けるのか、という問いで、正統なメタフィジックの要素を多分に含んでいます。それに対して冨田さんの「鉄の旗」はどことなく「魔王」っていうか、ロボットっぽい。不吉さとか不安の象徴っていうふうに読んでもいいんだけど、RPGで倒すべき魔王軍のの旗印みたいな感じに、チープに読みたい気がする。何でかなあ。
堂: あ、そうなんだ。五島さん、ほとんどテレビゲームやんないのにね。まあ、分かりますよ。あまり象徴性を取りすぎると逆に面白みが減ってしまう気がする。
五: たぶんだけど、背後に何か背負っている、とあまり読まないほうがいいような気がする。ほら、前衛短歌、塚本邦雄とかは「戦後社会」が射程に常に入っているわけじゃないですか。冨田さんはそうじゃなくて、もっと単にこのイメージすごいでしょって、趣味的に提示している気がするんですよね。
堂: はー、なるほど。
五: ロボットアニメのロボットに、別に実際的な意味はないけど、ただかっこいいから角をつけるとか、いかつい装飾をいっぱいつけるみたいな、そういう男子的な趣味を感じるのね。そして、それはそれで豊かなものだと思うんです。もしかしたら、全然的外れなことを言っているかもしれないのを、覚悟して言うんだけど。
堂: うーん、どうだろう。僕はそこまで断言できないかなあ。僕の採る句は、
- 黒揚羽旅は罅(ひび)より始まりぬ
- 芹たべて一日一日をまぼろしに
- 自転車のうすくひかりぬ緑の夜
- しぐるるや水底にあるオートバイ
です。二句目、「芹」が効いているね。毎日毎日山菜ばかり食べて、一日一日の感覚が薄くなっていく、って感じかな。三句目は、「緑の夜」が良くて、夜の自転車は発光しているように、私も見える。四句目、見えてないオートバイの存在感。全体的に抽象性が高くて、空中に絵を描くような。
五: はい。というところで4人終ったね。7人いきたいところだけど、日もすっかり暮れたし、今回これくらいで締めますか。
堂: そうだねー。雨に体力を奪われたしね。
五: 今日はどうでしたか? 堂園くん。
堂: やっぱりガストだと、体力の低下が著しいね。前回の五島さんのご友人のお店が居心地がよかっただけに。
五: それはたしかに。前回は途中で自由にウイスキーもいただけたしね。
堂: 弘明寺自体はいい町なんだけど。ガストがなあ……。僕の頼んだロールケーキ、クリームが凍ってたよ!
五: しかも漂白したような白さのクリームだったね。
堂: あー、こんなんじゃなくて、もっとおいしいものが食べたいよ!
五: はいはい。じゃあ、どっかビールでも飲みに行こうよ。
堂: そうしようそうしよう。「『新撰21』を読む」はまだまだ続きます!
五: 次回はちょっと更新が先になっちゃうかもしれないですね。でもなるべく早く。
堂: はい。
五: では今回の気分に合わせて、今日は「ダウナーな食べ物しりとり」をしながら行こう。
堂: え~、今度はダウナーかー。難しいな……。
五: 早く。
堂: ちょっと待ってくださいよ。うーん……。
五: はやくはやく。
堂: 駄目だ思いつかない。アッパーな食べ物ならたくさんあるけど、ダウナーな食べ物ってあるかなあ!?
五: あるよ。牡蠣フライ。
堂: 牡蠣フライ!? なんで?
五: あんまり好きじゃない。
堂: 嫌いなだけじゃん。
五: 生牡蠣はうまいのに。フライにしないで生で食べようよ。
堂: え~、じゃあ、僕はさっきのロールケーキ。
五: ああ、あれは非常にダウナーだね。
堂: なんか趣旨が変ったところで締めますか。
五: はい、お疲れさまです。
堂: お疲れです。
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