野口あや子ロングインタビュー
堂: こんにちは。
五: こんにちは。
堂: 今日は中央線の雄、荻窪にいます。さっそく、解説をお願いします。五島さん。
五: 中央線沿いっていうのは独特の雰囲気がありますよね。文化人、知識人、その他の変人がうようよしていますからね。そしてここ、荻窪はその総本山。西荻窪の東にあることでも著名な街です。
堂: あ、
- コーヒーの湯気を狼煙に星びとの西荻窪は荻窪の西
という佐藤弓生さんの短歌がありますね。しかし、今日は春の嵐なのか、外は風が吹き荒れていますね。恐ろしいほどだ。それに比べて、ここデニーズの中は風も吹いていないし、落ち着きますねえ。さすがデニーズです。ねえ五島さん。
五: いやあ、やっぱりデニーズはいいですね。前回の掲示板収録はさびしかったからなあ。むむ、堂園くん、アボガドハンバーグのバランス野菜仕立てに目をつけるとは不遜ですね。それは私の大好物なんですよ?
堂: 五島さんは彩り野菜のカレーを食べているからいいじゃないですか。いやあ、しかし、デニーズは他のファミレスよりも、ご飯がうまいですねえ。
五: 当然です。なにしろデニーズはミシュランの四つ星にランクされていますからね。
堂: いつものように五島さんの華麗なる適当発言が出たところで、そろそろ今回のゲストに登場していただきましょう。今日のゲストは、第一歌集『くびすじの欠片』を出版された……、
五: 野口あや子さんです!! どうぞ!
(ぱちぱちぱちぱち)
野: まあ、野口です。よろしくお願いします。
堂: 「まあ」ってなんですか。ともあれ、今日はよろしくお願いします。
五: 今回の短歌行は、野口あや子さんへのインタビューです。『くびすじの欠片』、読みましたか、堂園くん。
堂: 当然ですよ。近年まれに見るほどの、相聞歌集でしたね。装丁も凝っているし、非常に目に止まります。前々から短歌行では、野口さんの歌を取り上げることが多かったですし、ぜひいつか野口さんにはインタビューしたいと思っていました。実は最近、早稲田短歌会に来てもらったり、若手の会で顔を合わせたりして、なにかとご縁があるんですよ。それに、歌集を出版されましたし、今回来ていただいたというわけです。
五: では、早速インタビューしていきましょう。
堂: まず、人となりから。
五: 子供のころはどんな遊びをしていましたか?
堂: 五島さんはカタツムリを潰していたんですよね。田口さんのインタビューのときに判明した情報によると。
野: ぎょえー。
五: ……。野口さんは?
野: 本とか、読んでましたね。
堂: 本ですか。どんな本を?
野: どんな本だったかなあ? えーと……。
堂: 何か、作者とか、タイトルとか……。
野: うーん、荻原規子の『空色勾玉』とかの「勾玉シリーズ」とか……。あっ! いま思い出しましたけど、子供のころは古代史に興味がありました。
堂: ん!? 古代史?
野: えーと、卑弥呼とかに興味があって、卑弥呼のマンガを完成させたことがあります。
五: え!? マンガを完成? いきなりすごい話題が出ましたね。
堂: いくつぐらいのときですか? 量は?
野: 12歳ぐらいで、ノート一冊ぶんくらいで……
五: ストーリーは?
野: どこから話そう……。ネパールに「クマリ」という生き神の少女神がいるんですが、無表情で血を流したことのない少女が選ばれるそうなんですよ。それで決まった期間ほとんど人権もなく祀られるんです。
堂: ん? ネパール? 古代史は?
野: それで、その祀られるクマリにヒントを得て、卑弥呼もそういう女の子だったんじゃないかと。で、近未来からタイムスリップしてきた男の子が登場するんです。その男の子と関わることで、卑弥呼が人間的な楽しさや喜びに目覚めていく、というマンガです。
五: すごい深みのあるストーリーですね。
堂: それ、本当に小学生のとき?
野: それでその後、男の子は未来に帰ってしまい、悲しんだ卑弥呼のもとに神が降臨して、卑弥呼は真の女王になるんです。
堂: おおー!
五: 大団円!
堂: すごいですねえ。大河ドラマだ。
五: すばらしい! 同じ時期に堂園くんはダンゴムシを戦わせていたというのに。
野: 読者は一人しかいなかったんですけどね。
堂: そっかー。それでもすごい。正直、いま超読みたいですもん、その話。
五: まだ持ってますか?
野: ああ、ありますよ。このあいだ整理していたら出てきました。でも、初回の最後の一ページだけないんですよ。
堂: 気になりますね、そのページ。
五: その後、そういった興味はどこかに消えてしまったんですか?
野: その後、卑弥呼を調べていくうちに、NHKの「堂々日本史」とかの冊子版を図書館で手に入れて、古代とか古典に興味がわきました。
堂: おっ! 古典ですね。どういった人を読んでいたんですか?
野: あまり内容には、触れるつもりがなくて、読んだのは小野小町とか、生き方に伝説がある人でしたね。いかに歪曲されたかとか、面白いと思いまして。
五: 小野小町の次はどういった感じに?
野: そうですねー、あっ、伝説というところでは、徳川埋蔵金にもその後興味がわいて、「世界ふしぎ発見」の徳川埋蔵金特集を妹に見せて、仲間に入れようとしました。
五: (大爆笑)
野: でも妹は本気で信じちゃって、本気で探し当てるつもりになっていましたね。私は信じてませんでしたけど。
堂: 面白いなあー。
五: それで、古典文学方面でのその後は?
野: 文学方面では、女性の作者やその生き方に興味がいって、そういった人たちをよく読んでました。でも、生き方に興味があったのであって、枕草子とかには行きませんでした。フィクションだけど、源氏物語の葵とか。頑固で、人とか自分とか許せないところに共感しましたね。
堂: なるほど。うなずけます。
五: けっこういきなり大事なことに当たった感じがしますね。
堂: 女性の作品に対する気持は、野口さんの中では重要な気がする。現代では、どんな女性作品を?
野: 中学のときは山田詠美を読みましたね。『風葬の教室』『蝶々の纏足』とか。『ぼくは勉強ができない』とかいったエンターテインメントを押し出している感じより、女の子の性(さが)や業が見えるものを読むと安心した覚えがあります。
五: その辺りが小説との出会いって感じなんですね。最近はどんなものが好きですか。
野: 金原ひとみですね。出会ったのは歌を始めてからですが。あと、鈴木いづみとか。個人的には、まっぱだかで書いている感じのほうが、読む側も楽しめる気がしています。
堂: あ! 鈴木いづみ、僕もとても好きです。なんか、かっこよろしいよね。「理屈はあとだ、みんな死ね。」という言葉、いいよね。
野: 逆に金原ひとみは「理屈はあとだ、生きろ」という感じですよね。
堂: あー、分かる分かる。
五: なるほど、人柄が見えてきましたね。そろそろ歌集の話に入りましょうか。
堂: そうですね。まず、歌集全体についてですが、どういったことを気をつけて作ったんですか?
野: ふつうに、自分の好きな歌、自分らしい歌が入ったらいいな、と思っていてできた感じです。
堂: 自分らしい歌というと、どういう感じでしょう?
野: 人間らしい歌? こいつ生きてるなと感じる、というか。
堂: なるほど。
野: らしいというか、そうありたいと思っている、ということですけど。
五: どんなときに「らしい」歌ができますか?
野: やっぱり相聞を主軸にされがちなのですが、まったくその通りで、恋人じゃなくても、人と関わっているときが「生きてる」って感じがして、歌ができやすいですね。でも、なんというか、相聞でもなんとなく「好き」「嫌い」というときにはできなくて、かなり思いつめるし、どうにかしたいと思ってからのほうが歌ができやすいです。
五: そういえば人と関わっている歌がすごく多い感じしますね。
野: たぶん人がいなかったら歌はできないでしょうね。まあ、「いない」というのは「いた」ということでもあるので、矛盾のある言い方ですけど。
五: うん、
- やや重いピアスして逢う(外される)ずっと遠くで澄んでいく水
は好きな歌でしたが、「(外される)」を入れたっていうことは、やっぱり人との関わりをモチーフとして大事にしたい、という気持を感じますね。
堂: それはすごく感じますね。野口さんの歌は自分一人だけのことを歌っているときでも、他者がいる感じがして、それが良いと思います。
五: そうですね。私、この歌の入っている「寂光院」という連作、好きです。
- 雪虫のひとつひとつの祈りかな 賽銭箱の多き山寺
で、急にパーッと視界が開ける感じがして、この歌があることでラスト3首に説得力が増すような気がします。
野: そうなんですか! 意外です。歌集の中で「寂光院」のモチーフって浮いてるかなと心配しながらも入れたのですが。
五: そうかなあ。
堂: 浮いている感じはしなかったけどな。確かに、連作として、始まりの
- 伽藍とて恋をするのだ靴下で踏む床板がきしきしと鳴く
とかは、珍しいモチーフかな、と思ったけど、五島さんも言ってた、連作最後の3首、
- 眼のまえを雪虫がゆく抱かれてる時の声だけ上手に覚え
- 触れて欲しい場所に触れてもらうため線香の火を避けて歩めり
- 虫食いの紅葉が揺れる血が混ざりあう戦いをまだ味わえず
とか、非常に個性が出ています。
五: うん。
- 虫食いの紅葉が揺れる血が混ざりあう戦いをまだ味わえず
に見られる、戦いのモチーフ、よく見る気がします。
堂: 人間の関係とは戦いである、という認識が常にある気がする。僕も戦いということをよく考えるので、なんかそこは反応してしまうなあ。
野: そう言われると、自分が少し分かったような気がします。
堂: なんていうかなあ、戦い、て言うとちょっと難しいし、語弊があるんだけど、歌の中で、常に対象や相手を舞台に立たせようとしている気がする。安全圏にいる人たちに、お前も関係性の戦場に立て! と言っている。なんか、ぼーっとしてんじゃねーよ、という声が、歌から聞こえる(笑)。
五: (笑)。そのへんが気持いいよね。
堂: フェア精神がひどく強い気がするんですよ、裏取り引きとかで、なあなあに分かり合ったりするのは嫌なんだと思う。例えば、
- 肘にある湿疹ふいに見せるとき目をそらさない君がいたこと
とか、
- きっぱりと降りる初霜 わたくしの嫌うひとにも苦しみはある
とかを読んでもそうですよね。こうした、「私もお前もちゃんとしろ」はとてもよい個性だと、僕は思います。
野: なんとなく分かってきました。なんだろうな、歌そのものに関してだけではないんだけど、相手の都合を考えずに、まず何にでも見切り発車でぶつかっているのは自覚していて、上下とか見ずに生で人と関わりたいというのが、性格的にも歌にも出ちゃうんだと思う。それが「ちゃんとしろ」になるというか。良いか悪いかといえば、私としてはわがままな面を感じてよくない気がたまにするんですけどね。
堂: うーん、よく分かんないけど、僕はすごくいいと思うけどね。
五: 私もそう思います。関連するかどうか分かりませんけど、
- ファンデーションから浮き上がる汗ぬぐいぬぐいて夏の陸橋わたる
とか、自己認識の厳しさを感じます。「ファンデーションから浮き上がる汗」とか書けるところが。
野: うーん、逆に不思議なんですけど、どうしてそういう例えば、ファンデーションに汗がにじむ、みたいな事を歌うのがこうして気に入られるんだろう。女の人ならみんなあることなのに。
五: 「気に入る」というより「ぎょっとする」に近くて、生身の衝迫感みたいなものに息を呑む、という感じですね。「気に入られたい」っていう動機からはこういう歌はまず出てこないはずだから、野口さんの歌への姿勢が垣間見えるような気がしたんです。
堂: それ、すごく分かります。こういうモチーフや体感は女の人によくあるかもしれないけど、他の人はもっと雰囲気で理解しようとしている。それに対して野口さんは「浮き上がる」という視線とか、「ぬぐいぬぐいて」という踏み込み方とか、雰囲気では終らせず、もっと自分の体感に踏み入ろうとしている。それは自分でも、「これ」とはっきり言えないものなんだろうけど、それでもなんとかして言おうという意志をすごく感じる。そういう感じかな。
野: あー、「雰囲気」とか苦手ですね。確かに。
堂: あ、いま思ったけど、これは歌を作る態度とか精神論の話ではなくて、歌から感じられる特徴のことだ、とひと言っといたほうがいいかも。混同しやすいから、そこ。
五: 言いなよ。
堂: 精神論じゃないです。
野: まあ、私は分けて考えきれないのですけど、言いたい、読まれたい、というのが過剰に出るから分けられないのかもしれません。ちゃんと読み手とキャッチボールをしたいというか。それが一首でもできたら、あとは歌集にコーヒーぶっかけられてもいいと思うんでね。
堂: かっこいいなあ(笑)。
野: 歌集をなんで読んでもらいたいかというと、関わりたいから読んでもらいたいんですよ。歌集自体が、「相聞」なんでしょうかね。
五: そうなんだろうね。
堂: でも、本当に相聞歌集だよね。読んでも読んでも相聞で、この人は相聞の鬼だなー、と思った(笑)。
五: 「相聞的な気分」ていうような、生やさしいものじゃないからね。
野: 相手にあこがれみたいなものが、持てないんですよね。もっとこっち来い! みたいな性格であり、相聞歌な気がします。はっきりわたし(あえてカッコなし)に興味を持ってほしくてやっているんだろうなあ、と少し自覚しています。
堂: うん、それが分かって、面白かった。僕が好きだったのはこれですね。
- 下の名で呼べばさんさん水しぶきあなたの娘を売り飛ばしたい
これ、すごく印象に残った。特に下句がすごい。「売り飛ばしたい」って(笑)。この迫力が突き抜けていて、ある種、爽やかな気持になりました。
五: その歌、すごいよね。
野: (苦笑)
堂: あと、
- 母の書くメモを幾度も折りたたみ白線の内側で夢を待つ
も印象に残った。これも下句がいいです。「夢」って短歌で頻繁に使われる、わりと安易な言葉だけど、この歌ではそれが生きていると思う。
野: え、それは自分ではちょっと没個性かなあ、と思ったんですけど。母の歌だったら、
- 真夜中の鎖骨をつたうぬるい水あのひとを言う母なまぐさい
の方が特徴が出てないですか?
堂: うーん、僕としてはそちらの歌の方が個性がない気がしますけど。個性がない、は言いすぎだな。いい歌だし、他の人にはたぶん歌えないけど、その歌の場合、面白さがずいぶん散文的な気がする。つまり、なんとなく言葉で説明できるかなって思う。この歌は、自分の恋人のことを話す母に性的な様子を感じて、その微妙な感受が嫌悪につながる、という感じですよね。それを「なまぐさい」で表現している。なんというか、ある種分析できる。
野: ふむ。
堂: でも、それに対して、「あなたの娘を売り飛ばしたい」とか「白線の内側で夢を待つ」とかは、うまく分析できなくて、作者としてもよく分からないまま言葉が発せられている気がする。この分析不可能な感じとか、定型のリズムと感情が結びついている感じ、よい意味でリズムに言葉を言わされている感じ、とかこそが定型詩の良さだと思うので。
五: 最終的によく分からないところに行かないとね。
堂: まあ、この話は、僕はそうだ、に過ぎないし、「分析できないのはお前がその歌をうまく読めていないだけだ」、と言われてしまうと、だまっちゃうんですけど。
五: どうですか?
野: なんだかすごく面白い気分になってます。
堂: そうですか、それはよかった。
五: そうだ、では、そろそろ野口さんの好きな歌人の話をしましょうか。どんな歌人が好きですか?
野: 最初に言ったように女性作家に興味が強いんですけど、亡くなった方ですが永井陽子さんですね。泣きますね。
堂: ああー、僕も好きです。
五: 例えばどんな歌が好きですか?
野: そうですね。
- 身をやつしこころをやつしうつそみのひとを愛すと笛天に吹く
ですね。
堂: なるほど。
野: あと、耳の鼓動の歌、
- 逝く父をとほくおもへる耳底にさくらながれてながれてやまぬ
とか好きですね。私も酔うと耳のへんが「トクトクトク」と言うんですけど、その時のぼんやりと覚醒が混ざっているような感じが永井さんの歌にはします。しかも、目覚めたのではなく、誰かに目覚めさせられたような頼りなさが、うっとりしますね。
五: ふむ。
堂: あー、それ面白いね。
五: 永井陽子さんを好きなことが伝わりますね。
堂: うん。じゃあそろそろ好きなアーティストの話を聞きましょうか。誰が好きですか?
野: えーと、うーんと、
五: じゃあ、例によって、表で。ドン!
堂: おおー。
五: なるほどー。
野: (ぐったり)
五: たくさん答えさせられて、疲れていますね(笑)。
堂: やっぱり特徴が出てますね。
五: 注目はやはり椎名林檎、Chara、Cocco、UAあたりの◎◎ですとか、ミスチル××ですかね。アムロも◎なんですね。
野: 一人で戦っている女の人が好きですね。ミスチルは周りが好きだから反発してます。あと、雰囲気感でかわいいという女の子を避ける傾向にあります。
堂: そうなんだ(笑)。でも、僕もミスチルだめだなあ。なんか。
五: 私は好きだけど。まあ、といったところで締めますか。
堂: そうですね。『くびすじの欠片』は本当にいい歌集ですから、ぜひ、これを読まれている皆さんにも買って読んでいただきたいです。注文は短歌研究社(http://www.mmjp.or.jp/TANKAKENKYU/trial.html#kasyuu)に連絡すればいいんですよね。
野: はい。
五: ぜひ読んでいただきたいです。いやー、今回も疲れたね。スカッとすることがしたいな。野口さんもお疲れさまです。今日はどうでした?
野: いやいや、楽しかったです。勝手に楽しんだ感がありますが。
堂: 僕も面白かったです。
五: 今日はほんとうにありがとうございました。
野: いやいやこちらこそ。
堂: こちらの直球や変化球の質問に、がっちり答えてくれたのが、頼もしかったですよ。
五: 直球や変化球!?
堂: ん? どうしたんですか、五島さん。
五: そうだ野球だ!
堂: え?
野: 急にテンションが上りましたね。
五: ここ、荻窪にはバッティングセンターがあるんですよ!! スッキリするには、やはり野球です。野口さん、ちょっと勝負しましょう。
野: ……。
堂: やれやれ、五島さんは野球に目がないですねえ。野口さん、ひと勝負してあげてください。めんどくさいかもしれないけど、お願いします。
野: しょうがないなあ。
五: やった! 野球だ! じゃあ行きましょう!
堂: はいはい、お疲れ様です。
野: お疲れ様です。
五: お疲れです。


