俳句

2011年4月12日 (火)

『新撰21』を読む(中後編)

堂: こんにちは。

五: こんにちは。

堂: 今日は花粉がいっぱい。短歌行です。

五: 春のつまらなさは花粉が原因と断言できましょう。

堂: そうですねー。冬が終わって春になるのは本当に憂鬱ですね。まあ、僕は花粉症ではないけれど。

五: そして、今日は横浜に来ています。

堂: 横浜のよいところはなんでしょう? 神奈川博士。

五: とくにありませんね。

堂: え!? 言いきるの? 前回と同じく、本当に横浜キライなんだなー。

五: しかし、そんな中でも自然は神々しい姿を見せてくれます。

堂: いきなり何を言い出すのか。

五: 横浜駅西口から沢渡中央公園へと向かう、無味乾燥のオフィス街の一角に「万年茸」が生えているのです。

堂: 万年茸ってなんですか?

五: 朱塗りの漆器のような質感、重量感、すばらしい茸なんです。ガンに効くという噂もあって、一本3万円くらいするんですよ。

堂: 3万!? マジで!?

五: まあ、お金はどうでもいいんだけど、万年茸自体が割と珍しいし、存在感があるのでみなさんもぜひ見に来てください。今のところ横浜駅周辺で唯一の名所です。

堂: といっても茸マニア以外は容易に見つけられない気がするけど。

五: ふふん。

堂: いやでも3万はすごいよ。オフィス街にずーっと3万落ちているようなもんでしょう。つーか、なんでそんなこと知ってんの、五島さん。

五: その筋では常識なんだけどね。

堂: はあ、その筋ですか。どの筋なんだ。

五: といったところでそろそろ始めますか。「『新撰21』を読む」の続きですね。今日は五十嵐義知さんからです。好きな句を挙げますね。

  • 山の端の光の帯や酉の市 
  • 人影をあきらかにして冬の月
  • 釣針に鮟鱇の顎残りけり
  • かまくらをつくる職人気質かな 

一句目、かなり大きな景です。酉の市のにぎわいが光の帯と対置されて、そこに吸い込まれていくようです。光の帯が消えてしばらくするとにぎわいも終息に向かいます。天象と人為のそこはかとない重なりあいがいいですね。

堂: うまいこといいますね。すごく目立つ句ではないけれど、雰囲気があるね。

五: 五十嵐さんは大柄でクラシックな作風が一つ特徴的ですね。「流域に寺町のあり更衣」とか。

堂: たしかにね。

五: 二句目も非常にクラシックな風景です。新鮮味というのは感じないけれどこういう句が入るのはとても潔い感じがする。作句姿勢が鮮明に見えてきます。三句目、鮟鱇を吊るしてさばいた後に顎だけが残っているという。切り取り方が鮮やかで、一片の湿り気も感じさせないところが魅力です。

堂: 「鮟鱇」の句は僕もとりました。見事な句だよね。

五: 四句目、かまくら作りに「職人気質」を見出したのがすごい。普通思わないですよ。でも五十嵐さんは思う。なぜなら常日頃から職人気質を意識しているからです。

堂: それは、作句信条にもあらわれていますね。読みますよ。

五: 読んでくれよ。

堂: 「有季定型を基本とし、平明、明快な作句を心がけている。」

五: まさにその通りの作風だね。

堂: 「季語についてはその使用が適当か、語句や表現は説明的ではないか、多くを語り過ぎてはいないかという点に留意している」。

五: 職人的だなあ。

堂: 「留意している」が特にね。

五: そこが一番のポイントだね。

堂: では僕のとった句に。僕は

  • 滝壺に届かざるまま凍りけり 
  • 川幅のこの先狭き雪解川 
  • 木の実落ち採光窓にとどまれり 
  • 釣針に鮟鱇の顎残りけり

をとりました。一句目、滝が滝壺に届かないまま空中で凍っている。冬の力がこの景に凝縮されています。二句目は川のゆく先を想像していて、なんか川の変遷とか連続性そのものに打たれる。メタファーにならずにね。リズムも好きです。

五: なるほど。

堂: 三句目。採光窓だから、高いところにあって、この木の実に触れることができないんだよね。この距離感が木の実の印象へのちょうどよい存在感を演出している。採光窓にあると、木の実の木の実性が強まるというか、あっ木の実あるなあ、というか。四句目はさっきあげましたが、印象が鮮明なよい句だと思います。

五: はい。

堂: 全体的に、キチッ、キチッ、という感じですね。季語や名詞の持っている存在感をひとつひとつ測りながら作っているような。

五: そうですね。僕は五十嵐さん、けっこう好きだな。絶対にウェットにならない感じが。木の実が落ちたら何か気持ちを言いたくなりそうだけど、採光窓にとどまっているというだけなんですね。その辺が「木の実性」と関連している。

堂: はい。では次にいきましょうか。次は矢野玲奈さん。

五: 良いと思った句は、

  • 川二つ越えて八十八夜かな 
  • 大胆な足の運びの西瓜割り 
  • 艫綱を結びてよりの遅日かな

です。一句目、少し長めの散歩でしょうか。「川一つ」だと物足りず、「川いくつ」だとしんどい。少し汗ばむ感じが八十八夜の季節感と響き合う句ですね。二句目、「足の運び」という言い方がユーモラスです。

堂: ユーモラスかあ。まあ、大胆、に見えるんでしょうね。でも、実際どういうものなんだろうか。

五: なんかフラメンコを想像してしまった。作家信条に引っ張られた読みですけど。でもそういうちょっとぎょっとするような運びなんでしょうね。

堂: ふむ。

五: 三句目は一番好きな句です。遅々として進まない太陽と、網でくくられて動かない船とをリンクさせているのですが、こう表現されると太陽自体に艫綱がかけられているように見えて面白い。

堂: ふむ。僕がとったのは

  • 箱庭に天動説を思ひけり 
  • 秋冷やまはる遊具の淡き色 
  • ぎちぎちと革手袋の祈りかな

です。一句目、箱庭を覗き込んでいると、自分が大きくなったように感じる。その大きさが天動説と連想させたんだと思います。いや、もっと単純に箱庭=動かない、周り=動くという感じかもしれませんが。この、なんか自分を大きくする自意識の持ち方がすごいな、と思って。

五: これは箱庭を覗き込んでいるととるか、自分の今いるところを箱庭と認識したととるかが難しい。ぼくは後者でとりました。しかし、自分を大きくするというのは同じで、その開き直り方が、少し気になる

堂: あー、そうか、どっちだろう。僕は覗き込んでると思ったけど、「箱庭に」を箱庭にいる、とも読めるか。まあ、どっちにしろ、この偉そうさはすごい。

五: なるほどね。

堂: 二句目は、さらっとしててよかったですね。三句目は、革手袋をしたままお祈りをすると、ぎちぎちと音がする。それは発見ですよね。

五: そうだね。

堂: ただ、全体的になんというか自足しているというか、そういう感じなのがどうも。あと、お金持ちだなーって。

五: どういうところが?

堂: 句に出てくる言葉言葉にちょっとした裕福感が。あと、活花やってたり、とか。

五: 気になる?

堂: うーん、うがちすぎかもしれないけど、気になるなあ。いや、活花やってていけないということじゃないですよ。当然。そんなこと非難されることじゃないし、絶対。

五: ふーむ。

堂: ただ、言葉にあらわれる世界の背後にすごくそういう価値観が出ている。つまり、ここにあらわれる素敵さは、だいぶ限定された素敵さなんだろうな、と。

五: 必ず出ますからねそういうのは。では次に、中村安伸さんです。

堂: ではとります。

  • 馬は夏野を十五ページも走ったか
  • 茄子の馬より茄子の血の滴れり
  • 切り口を運河へ向けて西瓜売る

です。一句目は「十五ページ」とあるから、本の中の出来事なんでしょう。いや、そうとも限らないか。とにかく想像の中で馬が夏野を走っている。その走った感じとページが進んでいく感じがリンクする。「夏野」を駆ける広さ、と同時にそれが限定されていること。大きな視野と、本というものに対する権力愛みたいなもの、そうしたものが混ぜ合わされていると思いました。

五: そうだね。夏野を馬がはしるという光景が本の中にしかないっていうのが独特のフェティシズムと閉塞感を生んでいますね。ブッキッシュなものに対する権力愛という見方もわかるけど、ここまであからさまに出されると逆に趣味的な感じもします。

堂: なるほど。

五: 文芸のフィールドでの権力を握っているのは、ぼくは感情だと思う。政治では文字通りパワーで、感情は抑圧されるけど、文芸ではそれが逆転する。

堂: むき出しの権力というのはそれほど怖くないから趣味的ということですね。たしかにそれもそうなんだけど、この句の言葉っていうのはブッキッシュな権力をまとった形で出てくる。その意匠をまということに快感を感じているということです。

五: それはそうだね。

堂: で、私はそのブッキッシュな感じがいいな、と思ったのです。そして、二句目、「茄子の馬」。お盆に飾る、あれですよね。

五: この二句目あまりぴんとこないんだけど、「血」というのは不吉なニュアンスでいいのかな。

堂: たしかにこの句はちょっと難しいですね。不吉なニュアンスかー。そういうところもあるけれど、もっと単純に、植物である茄子の馬から血が流れているように見える気持ちの強さと、そう見立てる見立てのかっこよさ、だと思う。

五: 単純なかっこよさで「血」っていうのはいいの?

堂: うーん、僕は快感があったけどね。

五: なるほど。そしてこれも非常にブッキッシュなものだよね。

堂: そうですね。

五: 「茄子の汁」だとその感じは出ないもんね。ぼくの好みは「茄子の汁」だけどね、この場合。

堂: 五島さんがそう言うのはよくわかるよ。でも、この「血」に中村さんのフェティシズムがよく出てきますね。三句目も、ある意味ブッキッシュ。運河に向けて西瓜を売るんだけど、ここで目立つのは西瓜の持っている季節感ではなく、西瓜の切り口のその赤の鮮やかさです。「運河」という語の好みにも出てるけど、やはり想像界の出来事なんだろうな、と。

五: ですね。ぼくが好きな句は

  • 黒潮を時には僧の流れけり
  • 立秋の手紙は箱に妹は野に
  • ぼうたんや印度独逸のあと津軽

あたりです。一句目、黒潮に乗るのは魚だけじゃないんですね。二句目、手紙は箱で輝くものだけど、妹はやはり野に遊んでこそのものでしょう。

堂: こそのものでしょう、って面白いですね。

五: 三句目、津軽というのがおかしくてなつかしくていい。健全な視野の狭さ。「印度独逸」という表記もいい。何かというと早期の英語教育が大事だなんてことを言いがちな薄っぺらい国際性に比べれば、大輪のぼたんの価値は十分です。

堂: 一句目のこれは、昔、中国から日本に僧が来た、とか文化交流とかの話なの?

五: たぶんそれもあります。渡ろうとして潮に流される僧が多くいたという。でも、魚たちの中に僧が泳いでいても楽しいですよ。

堂: そういう非現実的なイメージを楽しんでもいいかもしれないね。

五: 文化交流だと黒潮じゃなくて対馬海流になっていてもいいはずだしね。

堂: 全体的に知性の句、という感じで、そうした姿勢が僕は好きです。ただ、ときにはそうした知性が鼻につくときもなくはないかな。

五: はい、といったところで次。田中亜美さん。

堂: ではあげます。

  • 胎内は河原の白さ日傘差す
  • 冬すみれ人は小さき火を運ぶ
  • 耳尖るフランツ・カフカ柚子ゼリー

一句目は濃厚な女性性と、景の印象深さに驚きました。胎内、っていきなり言われるとびびるけども、それを白さ、日傘、と言葉をついでこられると、納得したわけでもないけれど、寄り切りで説得されるというか。余白の少なさが効いている気がします。二句目はすみれの小ささと火の小ささ。大切なものの大切さを、抽象的な目盛りを調節しながら伝えようとする姿勢、ですね。三句目はカフカは確かに耳尖ってんなー、と。

五: なるほど。まず一句目ですが、これはどこまでが景なんでしょう?

堂: 答えにくいんですが、僕はこういうふうに読みました。まず主体は「胎内」のことを考えている。この「胎内」は自分なのか、他人なのか、あるいは人間一般なのかわからないですが、そこは河原のように白いのだ、と考えている。胎内、という生と死が交わるところなので、三途の川のイメージとかが関係しているのかなあ。で、ここまでが考えていることで、そうしたことを考えている人が日傘を差していると、まあこういう感じ。

五: 河原に立って胎内を連想しているのかもしれないですね。ただ、暗いとか赤いではなくて胎内は「白い」のではないかという見方を読者に納得させるには、「日傘差す」が少し弱い気がします。作者にとっては「白い」ということでいいとも言えますが、難しいところです。

堂: そうだねえ。「作者にとって」というのは僕も感じますね。「日傘差す」も弱い、というより「満足」という感じだと思う。

五: そもそも説得を意図していないということですね。そういう感触はあります。自分の感受性に忠実な言葉を選んでいるんでしょうね。三句目の柚子ゼリーはどう効いているいるの?

堂: うーん……、実はよくわかんないんだよね。「耳尖るフランツ・カフカ」が好きでとったから。基本的には二物の句で、カフカと柚子ゼリーのギャップを楽しむ句、だと思うけど、その関わり方が正直よくわからない。でも、なんか好きなんですよ、この句(笑)。

五: 難しい句ですが、迫力ある対比ではありますよね。ではぼくの好きな句を挙げます。 

  • 首の骨もつとも白く鵙高音
  • 自我いつかしづかな琥珀霜の夜
  • 紙燃やす焔のゆらぎ馬酔木咲く

一句目、詠い切った心地よさがあります。一途さに対してさらに一途というか、シニカルに見ようとしないところに感動しました。二句目はクリティカルヒット。この句は中高生に読んでほしいです。自我の解消を目指すのではなく、結晶化を目指し、しかもそれは可能だという。内容的には平凡かもしれませんが、普遍的な力があると思いますね。

堂: なるほど。説得されます。

五: 三句目は官能的で、美しい句。「紙燃やす焔」の着想に惹かれます。ただ、観念が類型的な作品があるのが気になります。仮象や欲望に「シャイン」や「デジール」というルビを振るのはどうかなあ。

堂: そうだね。僕もぜんぶがぜんぶ乗れたわけじゃないなあ。

五: 全体的に自我というか個人性の強い言葉つきですね。

堂: うん。なんだか短歌的な気もした。

五: わかります。さて、田中さん締めますか。ふーそろそろ疲れたね。

堂: そうですね、あと3人で終わらせたいけれど、まあ、やめますか。日も暮れたし。

五: だね。

堂: じゃあ、今日は五島さんから中高生へのメッセージで終わりますか。

五: はい。えー、現在日本には学名のついた茸だけでも約2000種が存在しています。しかし、更に数千の名もない茸たちが発見を待っているのです。特に亜熱帯地方、奄美や沖縄は新種の宝庫。みなさんもぜひ新種の茸を発見してください。

堂: 数千も!? それはすごい!!

五: まあ、こういう数字には諸説あって、どこで茸を分類するかにもよるのですが。

堂: なるほどー。しかし夢のある話です。これを読んでいる中高生のみなさんはぜひいますぐ山野へ出かけましょう!

五: がんばっていただきたいところです。

堂: はい。しかし、何のブログだろね、これ。

五: まあまあ。

堂: それでは締めましょう。次回は『新撰21』の最終回!

五: ご期待ください!

堂: お疲れ様です。

五: お疲れです。

2011年3月23日 (水)

『新撰21』を読む(中中編)

こんにちは。「『新撰21』を読む」の第3回をお送りします。今回の収録は今年の2月でした。そのつもりでお読みいただければと思います。

堂: こんにちは。

五: こんにちは。

堂: 『新撰21』の第三回です。

五: はい。今日は誰からでしたっけ。

堂: 誰からでしたっけ。なにしろ、半年以上たってますからね。

五: そうだね。ところで堂園くん、僕の『新撰21』を見てくれよ。

堂: え、なに? ふつうの『新撰21』じゃ……。おおっ。

五: ふっふっふ。

堂: サインが書いてある! しかも5人も!

五: いいでしょう。さる俳人の集まりでもらったんですよ。いずれは収録作家全員にもらいたいです。

堂: そっかー、すごいなー。

五: でしょうでしょう。そうでしょう。

堂: さて、ひととおり自慢を聞いたところで始めますか。今日は渋谷のジョナサンです。今回は北大路翼さんからです。

五: 好きな句は、

  • 米の字の肛門に見ゆ秋祭
  • 簡単に口説ける共同募金の子
  • 男は手女は足を入れ炬燵

あたりですね。北大路さんは秋冬がいいと思った。

堂: 僕は春夏のほうが好きだったかな。

  • 入学児花壇の石を裏返す
  • 息かけて止めるカタツムリの進行
  • 文系は海好き理系はプール好き

らへん。

五: へえ。くっきり分かれるものだなあ。「文系は」の句はぼくも印を付けました。しかし全体的に言うと、秋冬の印象が強かった。秋の句に

  • 五人中四人が眼鏡そぞろ寒

というのがあって、この何となくそぞろ寒い感じが滑稽味を帯びた作風にうまくひびき合うと思いました。

堂: なるほどね。

五: ぼくの挙げた一句目や三句目など、何と言うか江戸時代みたいです。滑稽かつ洒脱で、非常に完成度が高い。

堂: わかりますね。載っている近影の印象や、語の押し出しの強さに対して、春夏の句を読んだとき、繊細なところに気づく人だなあ、と思った。それで、これらの句をとったのだけれど、背後にある洒脱な意識が繊細な発見を支えているのかもね。なんというか、繊細さが自己目的化しないというか。

五: うん。

堂: しかし、江戸時代って面白い言い方だね。

五: 洋画よりも浮世絵の手法に近いものを感じるんですよ。少ない描線で現実をデフォルメしていくあたりが。

  • 男は手女は足を入れ炬燵

に顕著ですが、漫画チックというのとも少し違いますね。

堂: たしかに浮世絵っぽいですね。形式の得意不得意をよくわかっているのかもしれないね。

五: そうですね。挙がった句の他には、たとえば

  • 遺言の録音をして柿一つ

ではもろもろの思いを周りから枯らしていって最後に柿一つに収斂させているんだけど、やはりタッチをできる限り単純にしていこうという美意識があるんだと思う。力業で一句みたいなものは少ない。

堂: あー、よくわかる。力業ないね、たしかに。

五: 力が抜けているんだよなあ。内容はやぶれかぶれなのもあるけど、言葉は全然そうじゃない。かなり計算された美意識が目につく。

堂: 今読み返していると、秋冬もよいですね。他に僕が好きだったのは、

  • 風呂に湯をためてをり虫鳴いてをり

です。静かな感じが。あと、シンプルさというか。俳句の良さが出ている気がする。

五: うん。

堂: さっき細かく言わなかったけど、

  • 息かけて止めるカタツムリの進行

も好きです。止めたあとまた歩き出すカタツムリの姿の時間の細かさ。

五: 堂園くんはこういう経験があるからね。僕はカタツムリは殻をむいて遊ぶものだったからなあ。

堂: 「もの」って。なにそれ。

五: いや、昔、子供のころに教えてもらったんですよ。小1のときに、近所の小6のお姉さんに。「こういうものだよ」って。

堂: え、すごい話ですね。

五: その人は小動物が好きでねえ。あと、椿の中にいる蛾の幼虫を手いっぱいに集めて愛でていたよ。

堂: 豊かな子供時代だなあ。

五: その椿はぜんぶうちの椿だったんだけど、ぜんぶ花をむしり取られてね……。

堂: えーっと、正直すごく興味あるけど、そろそろ次の人に行きましょうか。その話はまた今度ね。

五: はい。豊里友行さんですね。

堂: 僕がとるのは、

  • 地球独楽春夏秋冬痩せ細る
  • 夜のパンに鮫のかなしみをぬる
  • 自転車の車輪がみがく冬の空

です。一句目、地球独楽ってあれですよね。ひもひっぱると、回転するおもちゃ。あれって、ずーっと回っているんですよね。それが、なにかこう一年が流れて、どこか消耗する感覚にかかるのかな。

五: 「痩せ細る」には現代への風刺がやっぱりあるのかなあ。

堂: そうかもしれない。二句目は、ちょっと難しいけれど、夜のパンにかなしみを塗るのは、感覚としてわかります。そこに「鮫の」。これはたぶん、鮫の孤独っぽいイメージとか、攻撃性ゆえのさみしさとか、顔のイメージとか、そういうものを混ぜていっている。

五: 鮫って、本当は群れで狩りをしたりもするんだけどね。まあ、孤独なイメージはありますよね。

堂: 三句目はさわやかな感じが好きでした。ただ、全体的にちょっと難しかったかなあという気がします。

五: ぼくが選んだのは、

  • 轟音の鼠となり空齧るフェンス
  • 捨石か要石かと蜥蜴鳴く
  • 青蛙ニライカナイの地図をとぶ

です。「鼠」「蜥蜴」「青蛙」といった小型の動物に思い入れというか馴染みがあるんだと思います。ほかにもいろいろ出てくるよね。

堂: そういえばそうだなあ。

五: 沖縄をめぐる不条理を語るために人間ではない生き物が意図的に導入されているんだろうと思うんです。人間だとどうしても立場や思惑だけで読まれてしまうから、摂理みたいなものを語りにくいうらみがあるからかもしれません。もちろんそういう生き物に語らせること自体がひとつのギミックとも言えますが。

堂: そうですねえ。「沖縄」はとても難しいテーマですから、何らかの工夫は必要でしょうしね。

五: 二句目などは、「蜥蜴」が仙人みたいに石の上に乗って鳴いている絵柄が「捨石」「要石」の語からなんとなく想像されますね。といったところで、そろそろ次に。相子智恵さんに移りましょう。

堂: はい。僕のとったのは、

  • 北斎漫画ぽろぽろ人のこぼるる秋
  • 初雀来てをり君も来ればよし
  • 木犀や漱石の句に子規の丸

です。

五: 「初雀」の句はぼくも好きです。「君も来ればよし」という感情の発露が自然なかたちで、もっと言えば「もののついで」になされているのが心地よいです。

堂: そうそう。素直、というのとは全然違うけれど、立ち姿がへんにねじれてないんですよね。全体的な人格はおおらかというよりもむしろ修辞派だと思うけど、ふいにふっと余白が生まれるというか、ユーモアが入る。解説の甲斐由起子さんも「諧謔味」と書いていたけど、そういうのがいいのかな。一句目、三句目にもそういったところがあると思います。

五: そうですね。わかりますよ。一句の中にちょっとした余裕があるんですね。

堂: はい。一句目、北斎漫画で人が細かく動いている様。あれってちっちゃい人が色んな動きをしててかわいいんですよね。ぽろぽろって。で、その楽しくさびしい感覚でしょうか。二句目は、五島さんが言いましたが、「来い」じゃなくて、「来ればよし」が心地よい。三句目、「漱石の句に子規の丸」。文豪、という大仰さと「丸」のギャップ。たぶん、漱石や子規も俳句を楽しんでたんだろうなあ、と体感レベルでわかる。好きな句です。

五: 余白とか余裕というところで思ったんだけど、それが生まれることの一端はやっぱり切れが担っているんじゃないかという気がする。

  • 阿形の口出て銀漢や吽形へ

は好きな句ですが、散文的に言えば切れ字の「や」が「は」でも問題ないところです。でも広がりという点で言えば、やっぱり「や」の方が圧倒的にいいんですよね。

堂: たしかにね。

五: 全体的に言っても相子さんは「や」がとても多いですね。他に好きな句は、

  • 煽ぐほど鮨飯照るや桃の花
  • 雪掻の仕上げや軒の氷柱薙ぐ
  • 掌を当てて茅の輪に熱のありにけり

あたりです。一句目、鮨飯が美味しそうに仕上がってくるにつれて心も華やいでいきます。そこに桃の花の明るさが置かれる。掛け値なしの快ですね。二句目、この「や」も散文では「に」であるところ。以前の私ならこの「や」は拒否したでしょうが、今は違います。

堂: へー。違うんですか。

五: 大人になったということです。三句目、この熱の正体は人々の「罪」であると言っているわけではないけれど、かすかにそう感じさせる。そのほのめかし方が渋くて好きです。

堂: はい。ではそろそろ相子さんはしめまして、ふー、次はどうしましょう。

五: うーん、今日はちょっと時間ないし、今回はここでしめましょうか。

堂: そうしましょうか。またやりましょう。五島さん、ここ半年はなにしていたんですか?

五: 秘湯めぐりですね。

堂: ほう。秘湯めぐり。他には?

五: 他には何もしていませんよ?

堂: はー、してないんですか。それでは、半年間も秘湯めぐりのみを。五島さんは何者ですか。秘湯ハンターなんですか。

五: そんなところです。大楠温泉はおすすめですよ。昔、横須賀にあったんですけどね。今はもう建物しか残っていない幻の秘湯です。部活の合宿なんかにも使ったんですよ。

堂: 結局何をしてたんでしょうね。まあいいや。お疲れ様です。

五: お疲れです。

堂: お疲れです。

2011年1月16日 (日)

『新撰21』を読む(中編)

堂: こんにちは。短歌行です。

ごぶざたしております。

諸事情により、またこれほど更新が遅れてしまいました。

申し訳ありません。

今回の収録は、文中にもありますが、昨年6月でした。

どうか、そのつもりでお読みくだされば幸いです。

それでは、どうぞ。

※※※※※

堂: こんにちは。

五: こんにちは。

堂: 六月。雨の短歌行です。

五: 今日は弘明寺(ぐみょうじ)に来ています。午後四時です。

堂: 到着早々少し小腹が空いたので、鮨屋に行きました。いや、昼の鮨屋はいいですねえ。

五: はい。僕はバッテラをいただきました。押し鮨って好きなんだよね。魚の風味がよく出ててさ。

堂: 僕は金目鯛を食べました。うまかったなあ。

五: 鮨はとてもよろしいファーストフードですね。

堂: そして今はガスト。弘明寺はどんな町ですか? 神奈川博士の五島さん。

五: 弘明寺といえば何と言っても桜ですよ。京急線の駅を降りて駐輪場の上の階段をのぼると公園があります。そこの桜がとってもいいんです。

堂: もうすっかり葉桜ですけどね。

五: 小雨と葉桜だね。そして、公園を抜けると小高い丘に住宅街が広がっていて、これまたとってもいいんですよ。さびれたクリーニング屋さんとか駄菓子屋さんとかもあって。ただの住宅街ってすごくいいよね。何で?

堂: なんでだろうなー。僕も休日はただの住宅街をひたすら歩いたりするんですが、すごく喜びを感じる。あ、この庭バラが咲いてるや、とか。

五: いいですよね。

堂: ところで、ここ弘明寺は弘明寺観音が名物です。家庭教師で何度もこの町を訪れている五島さんは当然……。

五: 一度も行ったことありません。

堂: だと思いました。では始めましょう。

五: 「『新撰21』を読む」の中編です。

堂: それではさっそく前回の続きから。中本真人さんです。前回と同じように句を挙げつつやりましょうか。では、挙げます。

  • 野遊のボールに腰を降ろしけり
  • それらしき穴のすべてが蟻地獄
  • 釣具屋の磯の匂ひの水を撒く

一句目、サッカーボールとかバスケットボールとかの大きさのボールに屋外で座る。今はあんまり球技をやらなくなったからやらないけど、そういえば中学くらいのときはしょっちゅうボールに座ってました。

五: ああ、座った座った。座ると急に疲れた気がして、足元の草に目をやったりね。空を見上げたり。

堂: そういう風通しのよいイメージに惹かれました。二句目、家の庭とか砂場とかに、なんか穴がいっぱいある。それはみんなアリジゴクの穴だと。「それらしき」が面白い。そういえば、あの穴、あるとなんか気になってしまうよね、というところをとらえている。

五: うん。

堂: 三句目が一番好きかな。釣具屋って、私、見ると、おっ釣具屋だとか思うんですけど、その釣具屋から撒かれる水もなんか普通の水じゃなくて、特別な水なんだというのが少し嬉しいというか。まあ、海のそばだろうから、磯の匂いでも普通なんでしょうけど、こういうふうに詠まれると、お、水までいいなというか、撒いてんな、というか。

五: 三句目、ぼくも一番好きかもしれません。この釣具屋ってたぶん田舎の小さな釣具屋ですよね。オキアミとかイソメとか売っているから、独特の磯臭さがある。そういう店の中の感じとか、潮風の匂いとか、そういう諸々がぱーっと思い出されるんですね。こういう句を読むと、俳句って二物衝撃みたいな手法よりも似つかわしさを生かしていく手法のほうが合っているのかなあ、なんて思ったりします。

堂: 似つかわしさってどういうこと?

五: 釣具屋→磯臭さ→海風みたいな自然な連想が働くってことかな。もちろん二物でいい句があるのは分かるけどね。

堂: もしかすると、二物のほうがハードルが高いのかな、分かんないけど。

五: せっかく多くの人が共有している連想の体系があるんだから、それを使わないってい手はないかもって。中本さんのこの句だと自然にああ、おれもメバル釣ったことある、とか、ルアーってかわいいよねとか思ったりするじゃない。二物だと、読者ももっと頭を使わないといけないから、そこまで広がらなかったりして、読み手によっては含める情報が少なくなってしまう気がするのね。読者を選んでしまう。

堂: それはあるかもしれませんね。しかし、ルアーかわいいか? いや、かわいいけどさ。

五: まあ、だからといってどっちが優れているという話ではないんですけどね。

堂: ふむ。五島さんは中本さんではどんな句が良かったですか?

五: 釣具屋の句と、あとは、

  • 落第のすぐに広まる噂かな
  • 登山口よりいきなりの難所かな
  • 遠泳の二の腕に書く背番号
  • 顔舐めに犬寄ってくる帰省かな

あたりです。一句目、「落第の」から「噂」までに7音分の距離があって、そこにそこはかとない感慨が入り込みます。

堂: ふむ。

五: 人の口に戸は立てられませんね、堂園くん。

堂: 長屋のご隠居ですか。

五: 二句目、びっくり感が出てて、結構生き生きしている。

堂: そうだね。いきなりの難所に入ると、お、山だな、と気持ちが山へ入り込みますよね。それが、句を読むときにもシンクロして、ぐっと山道に入るように、ぐっと句に入り込める。いい句です。

五: いいこと言うね。三句目、質の良い筋肉が見えますね。「二の腕に書く」がすごく効いている。晴れててほしいな、この句の風景は。四句目、そういえば、前回の藤田哲史さんにも帰省の句があったような。ああ、これこれ。

  • 粉わさび醤油に溶かす帰省かな  藤田哲史
  • 顔舐めに犬寄ってくる帰省かな  中本真人

どっちも好きだけれど、どっちがいいかな?

堂: う~ん、そうだねえ、「粉わさび醤油に溶かす帰省かな」かな。

五: どうして?

堂: どうしてかー。うーん……、句の価値とはぜんぜん別かもしれませんが、個人的に僕は犬に親しんだ経験に乏しくて、うまく自分の中で再生できなかったのですね、この感情を。それよりも醤油に親しみがありまして。

五: わたくしも犬よりも醤油に愛情を持っている口ですけれども、どっちも帰省っぽさがよく出てて甲乙付けがたいなあ。藤田さんの句のほうがなんとなく可笑しみがあって、中本さんのほうがすっきりてらわない感じかな。

堂: うん。

五: でも俳句って文字数が少ない分だけ個人的な経験値によって好みが分かれるような気がするなあ。

堂: そうかもしれませんね。まあ、短歌よりも読み慣れていないという経験値の差も否めないですけれども。

五: そういえば中本さんは上から下まですっきりした感じの句が多いですね。そして、最後に「けり」「かな」が多い。

堂: あー、そう? 数えてみようか。ひー、ふー、みー……。うわ! 38句もある!

五: 実に40%ですね。これは多いんじゃないでしょうか。

堂: 『新撰21』でその次に並んでいる高柳克弘さんは、えーと、イー、アル、サン……。25句ですね。

五: やっぱり多い。

堂: あと、さっきから読んでても分かるけど、やはり季節を大事にしている感じがありますね。それが伝わってよかった。

五: それでは次に高柳克弘さんです。好きな句は、

  • 浴衣着て思ひがけない風が吹く
  • 目を寄せて試験管振る木の芽かな
  • うみどりのみなましろなる帰省かな
  • 入れかはり立ちかはり蠅たかりけり

です。一句目、洋服では感じられない風なんですね。「思ひがけない」が目立ちすぎるような、でもやっぱりこれでいいと思わせるような。少し判断に迷うんだけど、好きな句です。

堂: あ、その句覚えています。けど、うーん、ちょっと嫌かな。ちょっと。

五: どうして?

堂: 思いがけない、って言ってるけど、なーんか思いがけなくないだろう、その風は、と。

五: たしかにそこが少し人工的な感じがするんですよね。三句目、これも帰省ですね。「うみどりのみなましろなる」がドラマチックです。「醤油に溶かす」や「顔舐めにくる」のアナログ感がなくて、もっとずっと観念的っていうのかな、だいぶ味わいが違いますね。四句目、「入れかはり立ちかはり」の感触が説明しがたいんだけど、たしかに蝿ってそうだよね、と思わせられるというよりも、映像美みたいなところに力点があるような気がする。三、四句目共に、若干出来すぎな感じがあって、手放しでいいとは言いにくいけれど。

堂: そうですね。かなりデジタルな把握な気がします。「うみどりのみなましろなる」も、「あれ、さっき黒いのいませんでしたっけ? 高柳さん」と言いたくなる。

五: トビもいたしウミウもいましたよってね。でも「みなましろなる」が帰省をドラマチックにしているんですね。心情をがちっと固定していく。二句目、「目を寄せて試験管振る木の芽かな」は一番好きな句です。一生懸命目を見開いている感じが木の芽の生命感というか息吹に合っている。景色がぱっと窓の外に飛ぶのが気持ちいい。

堂: 私がとったのは、

  • 秋の暮歯車無数にてしづか
  • くろあげは時計は時の意のまゝに
  • 秋冷や猫のあくびに牙さやか

あたりですかね。全体的に抽象的、かつコントロールの利いた把握だなあ、と。一句目、時計か何かの機械か分からないけど、歯車がたくさんあって、それが動かないでいる。その美しさだったり、怖さだったり、世界のルールみたいなものを見ようとしていますね。それが秋の暮っていうのも、滅びの予感みたいなとこで雰囲気に合っている。まあ、「秋の暮かー、ベタだなー」とも思いましたけれども。

五: ふむ。

堂: 二句目、これもルールですね。こういうふうに言われると、確かにそうだな、と。普段見ているものの裏側を見せられたようなね。

五: 僕は二句目は嫌だなあ。生理的に。いい句だと思いもするんですけど、なんか希望がない。時の意のままでいいのか、と思ってしまう。僕らは単に時の乗り物ですかって。

堂: そこらへんも非常にデジタルな把握だね。ドラマチックさを前面に出すために、現実の複雑さは犠牲にしている。でも、記憶に残るよね。これだけクリアーに提示されると。

五: それはその通りですね。しかも百句通読して安定している。短歌の若手では光森裕樹さんの、角川短歌新人賞受賞作について、デジタルだと言ったことがあるんだけど、どこか冷めていて(?)理知的で安定度の高い印象は共通しているような気がします。光森さんは最近は作風が変わってきているけど。

堂: そうですね。私も光森さんを思い出しました。

  • ストローの向き変はりたる春の風

のON・OFFに切り替わる感覚とか、

  • 文旦が家族のだれからも見ゆる

の視界を幾何学的にとらえるところとか、

  • 六面のうち三面を吾にみせバスは過ぎたり粉雪のなか   光森裕樹

を思い出します。素材の好みもどことなく似ている。

五: 「文旦の家族のだれからも見ゆる」は

  • 柚子風呂の四辺をさやかにいろどりて湯は溢るれど柚子はあふれず   光森裕樹

も思い出しました。

堂: 読みどころがこれだけきっちりしているのは、なかなかできないし、目に留まりますよね。僕のとった三句目「牙さやか」なんて、きらっとした把握が冴えている。

五: うん。というところで次に。村上鞆彦さんです。

堂: では挙げます。

  • 万緑や鞄一つが旅の枷
  • 月の夜の大きな橋と出会ひけり
  • 街灯下寒の轍の殺到す

一句目、いいですね。旅の感覚よく出ています。鞄は旅の必需品で、他は手放せてもそれだけは手放せないものだけれど、これさえなければより自由になれる。それが、自由にどこにでも行けるけど、自由にどこにでもは行けない感じ、あの旅の最中の独特な気分をよく表しているなあ、と。「万緑」も効いていますね。

五: 僕もこの句が一番良いと思いました。「枷」という言い方が身軽さ、自由さを求める気持ちを引き立てている。でも何もかもはうまくいかない、空想の自由さに浸りきらない感じがとても気持ちいいです。空想に浸ってしまうといろんなものが見えなくなってしまいますから。

堂: 二句目は「橋」がいいですね。特別なものに出会ったわけではなく、たくさんある橋のひとつだと思うけど、それが月の夜の散歩への距離に合っている。こういう特別じゃない特別さって、日常にあるなあと思って。

五: うん。

堂: 三句目も、そういった感じの句かな。冬の街灯の下にたくさん自転車か自動車の轍が見えて、それになんか心打たれる、と。100年ほど前のアメリカの、アルフレッド・スティーグリッツの写真とか思い出しましたね、私は。ただ、「街灯下」はちょっとつまった感じがして。「街灯に」じゃだめなのかな。

五: そこが少し残念だよね。でも情景はすごくかっこいい。僕の好きな句は「旅の枷」のほかに

  • 伊勢海老の髭の先まで喜色あり
  • うしろより手が出て恋の歌かるた
  • つむりては眼いたはる青葉雨

などです。一句目、立派な伊勢海老を手放しで賞賛しているのがいい。おおーっ、いい伊勢海老だ、という感じ。「喜色」は伊勢海老のものではあるけれど、作者の顔もほころんでいる。

堂: うん。

五: 二句目、なんとなく格言めいていて面白い。いやあ、恋って怖いですね。

堂: いきなりなんですか

五: 三句目、眼精疲労はつらいけれども青葉雨がしっとりとあたりをつつんで優しい。眼をつむっても雨と青葉がふっと香ります。

堂: 無視か。ともあれ、三句目もいいですね。全体的には、地味なんだけれど、抽象に向かって半歩、歩を進めるようなところがあって、それが特徴かなあ。無理に飛ぶのではなく、堅実な印象。

五: そうですね。それから、こぼれるもの、消えるもの、傷むもの、を句にしているのに、あるいは、しているからか、背後にとってもロマンチックなテイストがあるのが特徴だと思いました。

  • 父の日の夕暮れの木にのぼりけり

とかにその特徴がよく出ている気がします。この句はこぼれるとか消えるとかはないですけど。

堂: はい。では次に、冨田拓也さんです。

五: 好きな句は、

  • 気絶して千年氷る鯨かな
  • 晩秋の夢殿を掌(たなごころ)かな
  • 眼にのこる鉄(くろがね)の旗いなびかり

です。一句目、「気絶して」がいい。死んでいるんじゃないですね。また動きだす。千年王国の連想で、鯨はメシアか!? というような風情。神話っぽい。同時にマンガっぽい。

堂: はー、千年王国。そんなことは、私は思いませんでしたが、この句は印、ついていますね。やっぱり「気絶して」かな。ちょっと意外。死んだりすると、より視野が狭まる。気絶のほうが視野がやや広い。

五: 二句目、「掌」に焦点を絞っているのがいい。「掌」だけが夢殿を浮遊しているような感じがして。山岸凉子の『日出処の天子』を思い出しました。

堂: あー、僕は掌の上に夢殿があるのかな、と思いましたが。

五: そうか、そうかもね。三句目、稲光が明るいので残像は黒っぽい。それを「鉄(くろがね)」と言っているんですね。「鉄(くろがね)の旗」は何を意味するのか。

堂: 何なのでしょう。

五: 思い出すのは山中智恵子の

  • この問いを負へよ夕日は降(くだ)ちゆき幻日のごと青旗なびく

の「青旗」。山中にとって青旗は一生をかけていくべき問いであり、魂の道しるべだったんですね。それはたぶん肉体を離れた思想はどこまで行けるのか、という問いで、正統なメタフィジックの要素を多分に含んでいます。それに対して冨田さんの「鉄の旗」はどことなく「魔王」っていうか、ロボットっぽい。不吉さとか不安の象徴っていうふうに読んでもいいんだけど、RPGで倒すべき魔王軍のの旗印みたいな感じに、チープに読みたい気がする。何でかなあ。

堂: あ、そうなんだ。五島さん、ほとんどテレビゲームやんないのにね。まあ、分かりますよ。あまり象徴性を取りすぎると逆に面白みが減ってしまう気がする。

五: たぶんだけど、背後に何か背負っている、とあまり読まないほうがいいような気がする。ほら、前衛短歌、塚本邦雄とかは「戦後社会」が射程に常に入っているわけじゃないですか。冨田さんはそうじゃなくて、もっと単にこのイメージすごいでしょって、趣味的に提示している気がするんですよね。

堂: はー、なるほど。

五: ロボットアニメのロボットに、別に実際的な意味はないけど、ただかっこいいから角をつけるとか、いかつい装飾をいっぱいつけるみたいな、そういう男子的な趣味を感じるのね。そして、それはそれで豊かなものだと思うんです。もしかしたら、全然的外れなことを言っているかもしれないのを、覚悟して言うんだけど。

堂: うーん、どうだろう。僕はそこまで断言できないかなあ。僕の採る句は、

  • 黒揚羽旅は罅(ひび)より始まりぬ
  • 芹たべて一日一日をまぼろしに
  • 自転車のうすくひかりぬ緑の夜
  • しぐるるや水底にあるオートバイ

です。二句目、「芹」が効いているね。毎日毎日山菜ばかり食べて、一日一日の感覚が薄くなっていく、って感じかな。三句目は、「緑の夜」が良くて、夜の自転車は発光しているように、私も見える。四句目、見えてないオートバイの存在感。全体的に抽象性が高くて、空中に絵を描くような。

五: はい。というところで4人終ったね。7人いきたいところだけど、日もすっかり暮れたし、今回これくらいで締めますか。

堂: そうだねー。雨に体力を奪われたしね。

五: 今日はどうでしたか? 堂園くん。

堂: やっぱりガストだと、体力の低下が著しいね。前回の五島さんのご友人のお店が居心地がよかっただけに。

五: それはたしかに。前回は途中で自由にウイスキーもいただけたしね。

堂: 弘明寺自体はいい町なんだけど。ガストがなあ……。僕の頼んだロールケーキ、クリームが凍ってたよ!

五: しかも漂白したような白さのクリームだったね。

堂: あー、こんなんじゃなくて、もっとおいしいものが食べたいよ!

五: はいはい。じゃあ、どっかビールでも飲みに行こうよ。

堂: そうしようそうしよう。「『新撰21』を読む」はまだまだ続きます!

五: 次回はちょっと更新が先になっちゃうかもしれないですね。でもなるべく早く。

堂: はい。

五: では今回の気分に合わせて、今日は「ダウナーな食べ物しりとり」をしながら行こう。

堂: え~、今度はダウナーかー。難しいな……。

五: 早く。

堂: ちょっと待ってくださいよ。うーん……。

五: はやくはやく。

堂: 駄目だ思いつかない。アッパーな食べ物ならたくさんあるけど、ダウナーな食べ物ってあるかなあ!?

五: あるよ。牡蠣フライ。

堂: 牡蠣フライ!? なんで?

五: あんまり好きじゃない。

堂: 嫌いなだけじゃん。

五: 生牡蠣はうまいのに。フライにしないで生で食べようよ。

堂: え~、じゃあ、僕はさっきのロールケーキ。

五: ああ、あれは非常にダウナーだね。

堂: なんか趣旨が変ったところで締めますか。

五: はい、お疲れさまです。

堂: お疲れです。

2010年5月13日 (木)

『新撰21』を読む(前編)

堂: こんにちは。

五: こんにちは。

堂: 初夏ですね。短歌行です。

五: 今日は横浜から3駅、黄金町に来ています。

堂: 黄金町。すごい名前ですね。なんか変わった町ですね。

五: 今はそれなりに小奇麗な町になっているけど、一昔前は相当治安の悪い町だったんですよ。それこそ夜に一人で出歩けないような。

堂: いわゆる「ちょんの間」という売春のお店がたくさんある、青線地帯だったとか。今も風俗店とか多いですしね。しかも大通りに堂々とあります。

五: 4,5歳のときだから、1980年代の黄金町に来たことがあります。誰かの家に珍しいサルがいっぱいいるというのでそれを見に。僕は横須賀の田舎から来たので、なんかすごいカラフルな町に来たなあと。すごい強い印象が残っています。

堂: 猿はどんなサルだったんですか?

五: メガネザルみたいな小さいサルがいっぱいいましたね。たぶん外国から連れてきたような。かわいいから触りたかったんだけど、「あぶないから触るな」って言われて悲しかったなあ。

堂: へえー。しかし、珍しい猿を人の家に見に行くってすごい思い出ですね。悪夢っぽい。黄金町にぴったりだなあ。

五: そうそう。

堂: 昔はそんな感じだったんですね。しかし、さっき散歩したら商店街、面白かったですね。

五: コロッケ30円だったね!

堂: よい意味での昭和の商店街でした。すばらしい。お惣菜とか、魚とかおいしそうだったな。太刀魚が5尾で1000円でしたね。あと、子供が超真剣な顔で車えびが泳いでるのを見てた。

五: 堪能しましたね。天気もよいし、最高。

堂: 商店街最高。

五: 最高。

堂: では、そろそろ始めましょうか。

五: はい。今日は僕の友人が一日店長をしているカフェの2階からお送りします。

堂: 実はさっきの散歩はお手伝いの買出しでした。

五: では今日のテーマは、『新撰21』を読む」です。

堂: 先日出版された、若手の俳句アンソロジーですね。

五: 最近俳句の若手が元気だという話が方々から聞こえてくるので、俳句を取り上げたいと思っていたんだよね。

堂: で、よいタイミングで出た『新撰21』を読んだら面白かったから、短歌行で取り上げようとなったんです。

五: 俳句行だね。

堂: 我々は俳句は門外漢なので、どういうふうに読んだらいいか、正直、短歌ほどは分からないです。俳句の勘所がどこか、いまいち自信はない。

五: そうだね。ちょっと分からないところがある。先行作品の影響とか。

堂: ただ、いつものようにひとつひとつの作品に触れていけば何か分かってくるかなと思います。

五: ですね。

堂: 自信はないけど。

五: 頓珍漢なことを言うと思いますが、そのときは優しく教えていただけるとうれしいです。でも歳時記って面白いよね、変った言葉がいっぱいあるし。子供のころ、遊びに行くより祖父の歳時記を読んでたほうが面白いなあと思ってたぐらいだからね。

堂: へえ。相変わらず変な子供っぷりですね。じゃあ始めましょう。

五: はい。いつものように全員分やります。本のアタマから順番に一人ずつ取り上げましょう。

堂: では一人目。越智友亮さんです。どうでしたか、五島さん。

五: 好きな句をいくつか挙げると、

  • 暇だから宿題をする蝉しぐれ
  • 草の実や女子とふつうに話せない
  • 重力が人にほどよしハンモック

あたりです。一句目、夏休みの宿題と蝉しぐれの取り合わせはとてもベタなんだけれど、だからといって悪いとは言えないのが不思議なところです。「暇だから」あたりに時間を湯水のように浪費できるという夏休み特有の気だるさがよく出ている。

堂: 「暇だから」はかまえたところのない言葉ですね。だからこそ出ている気だるさだ。

五: かまえたところが無いだけに個性っていうよりも万人の持っている観念にアクセスできる。それを極端にすると、

  • 通学の電車とバスと桜かな

になる。これは読んでいてのけ反りましたね。びっくりした。これでいいのかあって。

堂: うん。言いたいこと分かります。

五: これにOKを出すのか出さないのかにとっても興味がある。堂園くん。

堂: うーん……、そうだなあ、うーん、うん……。出さないね。やはり。

五: なんで?

堂: のけ反る感じも分かりますし、好感を持って読んだけど、心の喜びは感じなかったかな、自分でよく考えたら。一読したときはこの句はスルーしちゃったし。

五: 個性とか表現意識みたいなものを求めるとそうなるよね。僕も悩む。OKを出すかどうか。

堂: 悩むよ。

五: でも、僕はこの句を読んだときに心の喜びはあったよ。だから僕はこの句にはOKを出します。

堂: そうかー。僕はなかったなあ。

五: これぞまさに通学だなあって。

堂: ただ、この句はさっき五島さんが言ったみたいに、「極端にすると」だと思うんだ。その「極端」には僕は反応できなかったけど、さっき五島さんが挙げた「重力が人にほどよしハンモック」は好きですね。重力→ハンモックの流れは素直だと思うけれど、その力みのなさが、非常に緩やかな雰囲気を出している。いいなあと思った。

五: うんうん。

堂: 僕は他に、

  • 地球よし蜜柑のへこみ具合よし

が好きだったなあ。「地球よし」という大きい肯定が気持ちいい。

五: 僕も印つけた。ただ「地球」はどうかなあ、ちょっと構図っぽすぎるような気もする。

堂: うーん、まあね。確かに。

五: 全体的にはどうだった?

堂: 一連を読んでて自然に好感を抱きました。嫌みなところがない。読者に反感を抱かせないなー、と。そういうところが個性なんでしょうね。

五: あと季語の力を生かしているところもいいと思った。さっき挙げた「草の実や女子とふつうに話せない」の「草の実」とか効いているよね。季節感と心の萎縮した感じの取り合わせ。

堂: 「草の実」のちっちゃい感じね。

五: はい。では越智友亮さんはこれくらいで。次は藤田哲史さんです。

堂: では今度は僕が良いと思った句を。

  • ペンギンの飛び込むに岩濡れて秋
  • めつむれる木乃伊に展示室涼し
  • 紐あれば結界となる秋の暮

一句目は目の付け所が面白い。二句目は木乃伊の存在感かな。ミイラって展示室にデンとある感じだし、ミイラに対面したときに、細かいディティールを観察するよりも、なぜかこの部屋寒いなーとか、そっちを思ってしまうのは、なんか記憶にあるな、と。三句目は渋い感じが好きです。秋の暮も効いていると思う。

五: じゃあ、僕も。

  • 三人が傾きボブスレー曲がる
  • 海に沈め泡盛醸す快楽かな
  • 御所の警備かつては弓や猫じやらし
  • 粉わさび醤油に溶かす帰省かな

あ、四つになってしまった。一句目、ちょっとコミカルで楽しい。力感がよく出ているし言葉に無駄がないと感じます。二句目~四句目もなんとなくユーモラス。この四句にはなんとなく共通点があります。

堂: そうですね。ユーモアがあって、ちょっとズレてる。で、そのユーモアが、少しの豊かさにつながるのがよいなあ、と。バーっと世界が広がる感じではないけど、ちょっと広がるんだよね。世界が。「御所の警備かつては弓や」と言われると、ちょっと世界が開く。ピョッと。ちょと。

五: 何度も「ちょっと」と言ったね。

堂: いや、この「ちょっと」がけっこう大事かなと思って。

五: 若いのに粋だよね。あんまりきっちり作りすぎず、主張しすぎず一歩引いた地点から言葉を出している感じが出ている句が僕の好みかな。

堂: 「三人が傾きボブスレー曲がる」は五島さん好きそうとなんとなく思った(笑)。

五: うん好き。堂園くんの挙げた「紐あれば結界となる秋の暮」も好きです。「結界となる」で句の焦点がぐっと絞れている。でも一句目の「濡れて秋」はどうかなあ。「秋」が取って付けたような感じもする。

堂: それは僕も少し感じました。

五: ちょっと気になる。

堂: はい。では、次は山口優夢さん。

五: ダイナミックな句が結構あるなと思いました。

  • 三十三間堂中が冴返る
  • 曇天の下を雲飛ぶまむし草

特に二句目は「まむし草」の不気味な感じが天気の不安定な感じと合っている。

  • 目のふちが世界のふちや花粉症

も好き。花粉症で目がはれて、視界が狭くなってっていうような連想が働く。近すぎず遠すぎない「花粉症」はいい気がします。

堂: 僕は

  • 水温むかがやきやすき若白髪
  • 心臓はひかりを知らず雪解川
  • あぢさゐはすべて残像ではないか

あたりが好きです。全体的に頭がよいというか頭のよさを恃みにしている印象。それがダイナミックさにつながるから、観念性が強いのかな、と思いました。

五: 「かがやきやすき若白髪」はいいよね。百句読んでいくと、文体にはかなり幅がある感じがして、悪く言うとブレのようでもあると思うんですけど、その分思い切った文体を使ったりしていますよね。

堂: たとえば?

五: 

  • 小鳥来る次にからすがやって来る

とか。同じ山口さんに

  • 真っ白な塔あり長き晩年あり

というのもあって、文体の違いが面白いなと思いました。この二句だと上のほうがいいかな。

堂: どちらかといえば、僕は下のほうがいいかな。まっすぐ立っている塔のイメージが、ある人の晩年の長さにかかってくる。塔のイメージから、その人が自身にプライドを持っていることが分かる。その象徴のさせ方がなるほどなと。

五: でも、ちょっと理が勝るような。上のほうがしなやかな感じがする。「小鳥」と「からす」ってくくりが小鳥の方が大きくて具体性がないですよね。すずめとかめじろとか、とにかく小さい鳥っていう意識。ある意味適当なくくりです。だから意識の上で「からす」に大きな比重がかかっているのが分かって、なんだかリアリティがあるんです。「からす」って存在感あるじゃないですか。「げ、からすだ」とか「お、からすだ」とか思いますよ。目に入ると。

堂: 二句目の理が勝るのも、分ります。ただ、そう言えば「小鳥来るつぎにからすがやって来る」も実感というよりも、十分観念的ではないかな。この句は

  • ビルは更地に更地はビルに白日傘

と同じような感じがする。どういうことかというと、実際に小鳥とからすを見た驚きというより、「物事は連続するんだなあ」という観念を表している気がする。もっと抽象的な世界の把握だと思う。

五: はー、なるほどね。そうかも。面白いね。

堂: 山口さんはたぶん観念につながりやすいというか、ダイナミックが好きなんだと思う。さっきも言ったけど。

五: ダイナミックフェチなのかもね。「小鳥来る」が観念性に抜けるのは分る。「からすがやって来た」じゃないし、実際に見ているとは限らないからね。でも、からすの存在感、質感、を通路にして観念性に抜ける。そこにリアリティーが生まれているような気がします。「塔」の句は通路がなくてはじめから観念的なので、理が勝る感じがするんだと思う。

堂: うーん、そうかもね。

五: あ、あと、

  • マフラーの中の眠りと目覚めかな

も好きな句です。時間的なダイナミズムがあるよね。

堂: おおなるほど。このダイナミックさは、ぜひもっと先鋭化させていって欲しいですね。我々はダイナミック、大好きなので。では次に、佐藤文香さんですね。

五: はい。まず作句信条がいいね。「俳句ラブ」。

堂: ラブ。

五: 「それも本気で。」で改行して一行空いて、「俳句ラブ。あなたも。」と飛ぶのがレトリカル。

堂: うん。

五: 「俳句ラブ」は俳句本当に好きなんだなあ、と思うし、さらに「あなたも。」と言われると、もしかすると僕も俳句好きだったかもと思ってしまう。

堂: 俳句好きだったんだよ、たぶん。

五: たぶんね。

堂: じゃあ、僕の好きな句を挙げると、

  • かたまりの雲が遠くにある花野
  • あけがたの詩集に頁毎(ページごと)の冷え
  • 知らない町の吹雪のなかは知っている

ですね。

五: 「かたまりの雲が遠くにある花野」、良いですよね。広々としてて。

  • うづくまれば小さくなるなり花野原

も逆説的に広さを感じさせます。

堂: あ、それもいいと思った。二句目も手触りがあって好きですね。三句目はどうですか、五島さん。

五: うーん、これはあまり好きではないです。吹雪を出せば全部初期状態。だからどこも同じっていうのは……。

堂: たしかに。でも、この句を読んだときに、なるほどな、とすごく思ったし、あらゆる町の吹雪のなかは知っているという思うと、自分が広がる感覚があると思います。

五: 「知っている」と言い切る感じがたくましいと思うけど、連想として、吹雪で全部帳消しになって、その帳消しの場所はすべての根源みたいな場所であり、一番はじめに私もいた場所だから、だから知っているっていう風に読めてしまった。僕の好きな句は、

  • 梅雨晴の広告塔を母と思う
  • 国破れて三階で見る大花火
  • 嗚呼(ああ)夏のやうな飛行機水澄めり
  • 祭まで駆けて祭を駆けぬけて
  • 風はもう冷たくない乾いてもいない

などです。全体的に言葉ひとつひとつが強くてたくましいと思いました。そのことと微妙にリンクするんですけど、二句目、国がなくなっても花火は上がっているだろうって、心のどこかがどっしり落ち着いている感じが何か分かる。

堂: 説得されるなあ。言葉が強い。でもギクシャクしていないところがうまい。

五: 奇妙に落ち着いている。

堂: 三句目、いいですね。さわやかで。

五: 五句目は評価は難しいですけど、確信を持って言っているのが伝わってきます。それから、

  • 秋草の渦巻(うずま)くことも人の家

っていう句、「人の家」という落とし方がなんとなくレトロ(?)で渋いんだけど、「渦巻く」が強い。ここが現代のひとつの言葉の様相かなと思った。

堂: どういうこと?

五: 前衛っていうモードでもなく、かといって客観写生とか、あくまで生活に寄り添うのでもない行き方っていう感じ。レトロと強さが両立する感じっていうのかな。うまく言えないけど。

堂: ふむ。佐藤さんは、たくましさが特長な気がしますね。では次は、谷雄介さんです。

五: 挙げます。

  • 奥山に曙光いたれり鳥兜
  • 田楽のぶつかつてゐる皿の上
  • 一本の柱を崇め夏休み

一句目、何か花札みたいな絵柄だなあとまず思います。奥山とか、フェイクっぽいですよね。そう思うと、鳥兜の、紫の花や毒がやっぱり何かフェイクっぽくて結構決まっているなあという驚きがありました。二句目、田楽のぷりぷりだけ取り出していて面白い。三句目は宗教ごっこ。全体的にフェイクなトーンは共通です。

堂: フェイク。たしかに。他の句にも、全体的にそういう雰囲気ありますね。僕の好きな句は、

  • 冬の暮おほきな穴を掘りたくなる
  • 大いなる椿となりし椿かな
  • 焼跡より出てくるテスト全部満点

とかかな。フェイクともつながるけど、一連に「無意味の意味」みたいな姿勢があって、一句目なんかそれが顕著かな。それはとても俳句的ではないか。二句目も椿は椿のままだけど、こう詠むと椿のままでどんどん巨大化していくような。三句目もよく分かんないけどおっかない。

五: うん、椿の句は「大いなる」と面白がって言ってしまうところが逆に信仰の無さを表している感じがしますよね。

堂: そうだね。この感覚は短歌の若手で言うと、「町」の吉岡太朗さんとか、望月裕二郎さんを思い出しますね。以前の回でやったけど。

五: 分かるなあ。世代で言うと、25歳くらいから下。それも男子。もちろんその世代全員が全員こうではないですけど。特徴が出ている。

  • 扇もて水を運んでゐたりけり
  • 屏風もて運ぶ草生す屍かな

のセットには笑ってしまいましたけど、自分の部屋の中で遊んでいる。

堂: うん。自分の部屋の中だね。

五: でも笑ってしまったからにはやっぱり外に通じるものはあるんだと思います。

堂: 笑ったら負けですよ。

五: 負けました。(と句に向かって頭を下げる)

堂: あと、

  • ヤクルトレディに蜜柑をぶつける未来の遊び

も笑いました。ただ、なんていうか、「小劇場感」というか、そういう感じがどうもなあ。小劇場でなにが悪いのか、と言われると、別に悪くないけど、どっか楽屋落ちというか、横を見てニヤリというか、もっと大きなものが見たくなる。読んでると。

五: そうだね。でも、「田楽のぶつかつてゐる皿の上」とか言えるのがいいよね。

堂: それは本当にそうで、季語の強さ、俳句の強さだと思うけど、この「田楽」はなんてことのない言葉だけど、それでも歴史を背負っている言葉で、谷さんが自分でコントロールしきれない部分のある言葉だと思う。俳句を作るとそうした言葉を含まなくてはいけないところが、言葉全体の複雑さを増している。全部自分の中から言葉を出していくと、だんだんつらくなってしまう気がする。こういう作風だと。

五: では次に外山一機さんです。

堂: 好きな句を挙げます。

  • 母訪へばあまたの柘榴裂かれたる
  • 妹二人頻り蹴りあふ冷夏かな
  • 神父らの弱き野球やかきつばた

などです。特に二句目かな。ちっちゃい子がはしゃいでるところ。「冷夏」もよい。「猛暑」だとダメで、やっぱり少しひんやりしたイメージがここで効いていると思う。

五: 二句目、僕もいいと思います。それ以外には、

  • 川はきつねがばけたすがたで秋雨くる
  • 物売りの胸があかるし雨蛙
  • よくふえる兎をもらふクリスマス

あたりが好きかな。

堂: 奇想、イメージの句が多いですね。そして、

  • 梨を落とすよ見たいなら見てもいゝけど
  • よもつひらさかそこは三杯酢がいるの
  • バスタブ洗ひつつ人参の自生が怖い

など、ちょっとずらした句が目立ちます。こうした句は笑うのか笑わないのか、読んだ人が微妙な表情になる句だと思うけど、そういう風になんともいえないところに人の思考を持っていく、現実をずらすことがやりたいのかな。

五: そうだと思う。ちょっと気持ち悪くなるような微妙な路線の句が多いですよね。

堂: ただ、そのずらし方がちょっとピンと来ないというか、「三杯酢、うーん……」、「人参……、分かるけど……」と、ちょっとためらってしまう。たぶん、そういうギリギリを狙ってるはずだから、こっちの俳句感度が鈍いかもしれないですが。

五: 句で説得しようっていうよりも、読者の頭にふわっと奇妙なスライドを映写するという感じ。「川はきつねがばけたすがたで秋雨くる」だと、川がきつねだったら秋雨の雨つぶはきつねに降っている。じゃあ雨つぶがまざった川はやっぱり全体がきつねなのか、っていう風にどんどん連想が浮遊していく。そういう味わいのぼかし方が持ち味かも知れませんね。

堂: そうですね。では次に神野紗希さんです。

五: 好きな句は、

  • トンネル長いね草餅を半分こ
  • 今鮎が跳ねたと言って立ち上がる
  • 明け方の雪を裸足で見ていたる
  • 涼しさのこの木まだまだ大きくなる

などです。全体にサービス精神を強く感じます。それから、良いと思った句には、健やかさがある気がして四句目なんか特にそう思うんだけど、自然の事象に対してとても伸びやかな反応をしていて、そこがいいと思います。

堂: 僕も一句目、とても好きです。他には、

  • 白鳥座みつあみを賭けてもいいよ
  • 管のどこ切っても円や春眠し

とかが好き。「白鳥座みつあみを賭けてもいいよ」もサービス精神かつ、さわやかでいい。

五: あ、それもいいですよね。

堂: 同時に、一連に「管のどこ切っても円や春眠し」みたいなのもあるのもよくて、幅の広さを感じます。

五: サービス精神っていうところでは、短歌では永田紅さんの『日輪』を思い出します。

  • ああ君が遠いよ月夜 下敷きを挟んだままのノート硬くて

とか。あと、神野さんの俳句では月や星が普通に輝いているのがいい。

  • コンビニのおでんが好きで星きれい

などですね。何か文学趣味が昂じると月や星が意味を持ち始めるじゃないですか。それが嫌みだったりするけど、それがない。

堂: ないね。それはかなり珍しいような気が。健やかさはあとから身につけられないものですしね。

五: いや、それはあとからでも身につく可能性はあると思う。実感として。

堂: そうかなー、うーん。

五: ほかにも、

  • 釘は木を衰えさせて天の川

とか、好きな句が多かったです。というところで、三分の一終了ですか。もうすっかり辺りは暗くなってしまいましたね。今回は、前編ということで、ここらへんでしめますか。

堂: しめましょう、しめましょう。またやりましょう! 

五: そうしましょう。ふー、つかれたね。

堂: つかれたけど、面白かったですね。

五: 俳句いいねー。

堂: いいですねー。ところで、お手伝いしているお店は、いつのまにやら繁盛してますね。われわれは何にもしなかったですけど。

五: でも僕はたまに皿洗いとかしたよ、収録しながら。あと、僕の作ったピクルスも出してるし。

堂: ああ、あのピクルスは美味い。

五: まあでも他のお客さんに不気味がられていたね。

堂: いたね。ずっと2階の片隅にいたからね。「歌人なんですよー」とスタッフの方に気を使って紹介してもらったけど、確実に「歌人って何だろう……」と思われていたはず。

五: ご迷惑おかけしました。お世話になりました。じゃあ、さっきの商店街にもんじゃ焼でも食いに行きますか。あんまり居ると邪魔だからね。

堂: いいですね、もんじゃ。アッパーな食い物だよね。行きましょう、行きましょう。

五: では、「アッパーな食べ物しりとり」をしながら行こう。「ビール」。はい、堂園くん、「る」。

堂: いきなり「る」!? えーと……。

五: る。

堂: る、ルイボスティー……。

五: ぜんぜんアッパーじゃないよ。

堂: そうかなあ。

五: では、皆さん「『新撰21』を読む」、次回、めくるめく中編をお楽しみに!

堂: お楽しみに! いつになるかは未定です!

五: なるべく急ぎましょう。では、お疲れ様です。

堂: お疲れです。

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プロフィール

  • 五島諭 1981年生まれ。「pool」所属。「ガルマン歌会」運営。
    堂園昌彦 1983年生まれ。「コスモス」「pool」所属。「ガルマン歌会」運営。

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  • 冬陽の中の現代詩文庫
    堂園昌彦が一人でやっている現代詩鑑賞blog。 現代詩文庫を1番から順番に読む。
  • tankaful
    光森裕樹さんのサイト。 短歌ポータル。 道に迷ったらとりあえずここに行こう。
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    島なおみさんのblog。 様々な歌人が短歌と批評をバトン式につないでいく、 「+ a crossing」が魅力。
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